この世界の幻想ゲームに参加せず平和的で楽観的に生きる―サナンダ

タイトルにある「この世界の幻想ゲーム」とは、創造主を始め高次元の存在たちから繰り返し伝えられているように、私たちの惑星地球で展開している、宇宙の真実から遊離した別世界的なドラマのことです。「幻想ゲーム」に没頭した状態では「新生地球」の住人になることができないので、一刻も早く人類の全員がそれに気づき方向転換することが要請されています。今回のメッセージでサナンダは、私たちが「幻想世界の論理」にはまって取り込んできたものを、逐一取り外しながら前進するための「生活の知恵」を、いつもながらの鋭い人間観察にもとづいて、丁寧にアドバイスしてくれています。

ちなみに、今回メッセージの核心は次ですが、人類社会の現状をこのメッセージに照らすと、「極めて深刻な問題」が提起されていることが分かります。

――皆さんが感知したり体験したりするもので「愛」以外のものは、完全に「非現実」です! ただし、あなたが「腐食性の思考」――例えば、正否の判断、非難、敵意、恨み、裏切り、嫉妬、憎悪など――を心に抱き、それに従って機会があれば行動する姿勢を持って「愛」を封じ込めていれば、あなたには、いまだに一見してリアルな現実の中にいるように思えるでしょう。


サナンダのメッセージ

人類の目覚めは急進展しています。しかし多くの方々の目には、世界的な抗争や混乱が強まっており、また悪化しており、世界的大破局の怖れがある危機的な状態に近づいているとさえ映っているでしょう。けれども、これが現実になることはあり得ず、人類は今にも真っ暗闇の深淵に落ちようとしているわけではありません。それは、皆さんのように光を持ち光を担う方々や光の戦士たちが届けているエネルギーの転換が非常に強力で、多くの人が避けられないと怖れている「大破局シナリオ」を回避する方向に人類を導く、途方もない変化を引き起こしているからです。

人類の全員が、全般的な目覚めを確かなものにするために、人類進化のこの時点に生まれてきています。それは「神の意思」であり集合としての人類の意思でもあるので、人類が神の定めに従って目覚めることを、何者も何事も妨げることはできません。確かに地球の皆さんは「幻想」を発明し構築しましたが、皆さんへの「神の愛」は極度に強いので、皆さんが「神からの分離」を体験する必要があると思い込まされて始めた惑星地球での「ゲーム」によって、永遠に加害され苦しめられることを決して許さないのです。

ご存知のように「現実」というものへの感覚は極めて確かなことのように見えるとしても、皆さんが深く巻き込まれている、痛みや苦難を伴う「幻想世界」は完全に架空のもので、まるで最初からなかったかのような、人類の集合的イマジネーションによる虚構です。それは、ひとえに皆さんの一人ひとりが、それを確かな現実だと信じることによって、リアルに見えるようにしていることだけに依存してきたものです。そして今や皆さんは、その思い込みを手放そうとしているので、その虚構が崩壊することは避けられないでしょう。

私たち精神世界の存在が、絶えず皆さんに思い起こさせているように、「実在するものは愛だけです!」皆さんが感知したり体験したりするもので「愛」以外のものは、完全に「非現実」です! ただし、あなたが「腐食性の思考」――例えば、正否の判断、非難、敵意、恨み、裏切り、嫉妬、憎悪など――を心に抱き、それに従って機会があれば行動する姿勢を持って「愛」を封じ込めていれば、あなたには、いまだに一見してリアルな現実の中にいるように思えるでしょう。しかしそれは、痛みや苦難が依然として「ゲームのルール」となっている完全に非現実の「幻想世界」で、そのような思考がピッタリはまって結果をもたらしているものです。

そこで皆さんは、このような「腐食性の思考」を、「許すこと」によって手放す必要があります。まずは自分自身を、次には誰であれ間違っているとか許せないとか感じて、ネガティブに判定してきた人たちを。あなたが他者の生きざまを見て放置できないと感じることは、ほとんどの場合、あなたが思い出さないようにしているか否定している、あなた自身の一つの側面に過ぎないので、それを「認識して許す」ことができるように、あなたに反映して見せているのです。皆さんの中で次のような「一瞬の閃き(ひらめき)」を体験したことのない方はほとんどいないでしょう――それは、誰かが何かをやっているのを見て「間違っている」と判定した次の瞬間に、それは自分もやりそうなこと、または前に同じことを自分もやったと、閃いたことです。皆さんはお互いに自分の鏡像なので、憤慨させられた他者のやり方には細心の注意を払い、それは差し出されたレッスンなのだと認識して、積極的に受け取りそこから学ぶように自らの心を開くようにしましょう。

あなたが、自分も他の人たちと同じような人間だから、間違いを起こすことは避けられないと自認できるようになれば、たとえ間違いを起こしてもそれを自ら認め、否定したり露見しないことを望んだりする替わりに、自分自身を許すことができるでしょう。最高に優秀で有能な人たちでさえ間違い起こすのだから、失敗しても自分を過小評価したりしないで、むしろ失敗に気づいたことを嬉しく思い、単にそれを訂正すればいいのです。もし訂正が間に合わなかった場合は、それによって被害を受けた人々に謝罪し、最善の償いをしましょう。失敗を隠して気づかれないことに希望を託したり、誰か他の人に責めを負わせたりしないで、それを率直に認めて正す人のほうが、遥かに好ましく思われるものです。

好ましい人物は常に自らの失敗を認め、その責任を完全にとるので、その誠実さと勇気を称賛されるのです。皆さんの誰もが、「愛」の具現化として生まれています。したがって、自らの「光」を明るく輝かせ、本質である「愛」そのものとなり、自分の生き様について完全に責任をとるようにしましょう。あなたがこれをやれば、つまり常に愛と誠実を持って正直に生きていれば、失敗することへの怖れが遥かに軽くなって、人生がずっとスムーズに流れるようになるでしょう。そして怖れが減れば、物事が遥かに鮮明に見えるようになるので、当然ながら失敗が少なくなるでしょう。あなたの本質である「愛」を生きれば、パニックに替えて平和を生きることが保証されるので、いつも焦っているような感覚は消えて、何事も都合よく片付くようになるでしょう。

皆さんがよくご存知のように、性急に事に当たると事故が起こりやすく、それはカップからコーヒーをこぼすようなことから、慌てて思慮の足りない決定をして戦争に突入することにまで及びます! あなたが、たとえ遅刻しそうな状態であっても、意識してスローダウンすれば、ストレスのレベルが下がり血圧も下がって、ほとんどの場合、実際には遅れないで済む結果となるでしょう。

そうはいっても、もしあなたが約束時刻に遅れることを常習としているなら、おそらく必要なことは、到着までにもっと時間を割くなどして、その課題に取組むことでしょう。よく見られるパターンは、一日にやることを沢山持っていてストレスを抱え込み、その約束時刻までに到底済ませられないような余計なことをその間に挟み込んだり、またはそのミーティングやイベントに参加することがそもそも乗り気でなく、出発を遅らせたり、簡単に予見できたはずの交通渋滞に巻き込まれたりするなどして、遅刻を「自分ではどうしようもない出来事」のせいにすることです。誰もが知っていることは、いつも遅れて来る人の「犠牲者症候群」です――「どうしようもなかったんだ!」という。

皆さんの全員が神の最愛の子供たちで、あらゆる瞬間に神の愛が注がれており、あなたがその状態を変える余地はありません。したがって、自分自身を過小評価したり一方的に判断をしたりするなどの、ネガティブな考えを抱くのを終わりにしましょう。それに替わって、自分たちは――自らの選択によって――能力が厳しく制限されている「幻想世界でゲームをしている」ことを自ら思い起こすだけにすることです。そして自分に対して、値打ちがない、気に入らない、または恥かしいとさえ思うときは――あなたに対して「あなたの父つまり神」がされるように――自分を許し受容れる、そのチャンスに過ぎないと知りましょう。自分自身を許せるようになれば、他者を許すことはずっと容易になるでしょう。何故なら、もはや彼らは、あなたの欠点を反映して見せる存在ではなくなるからです。そしてあなたは、日常生活を送るのが遥かに平和的で楽観的になることに気づくでしょう。

日常生活を平和的で楽観的に送ることは、あなたがこの瞬間に地球人を生きている理由の一部です。それというのも、あなたのエネルギー場は常に他者のそれと相互に作用しており、平和的で楽観的なエネルギー場は、人類の目覚めのプロセスに多大の貢献をするからです。あなたにコンタクトしてくる人のエネルギー場にあるストレスや懸念を、あなたのエネルギー場がカウンターバランスをとって鎮めるのです。

神が永遠の歓びを与えられたあなたの人生を、「愛」と「平和」をもって享受しましょう。

親愛なる皆さんの

サナンダ(ジーザス・クライスト)


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あなたの「帰郷」の歓迎は輝かしい祝賀から始まります―サナンダ

このメッセージでサナンダは、人類が個人として自ら招いて陥っている苦境から、即座に脱出する道を次のように説明されています。

 ――あなたは、「魂の源」と一体であるように創られており、その状態は定まっており変わることは有り得ませんが、それを一時的に見失っただけです。それは、あたかも空を通り過ぎる小さな雲に視界を一瞬だけ遮られたようなもので、次の瞬間には、永遠に輝く太陽を見ることができます。

――皆さんの中で誰一人として、神から忘れられ、置き去りにされ、見失われ、またどんな形であっても審判の対象となったり欠陥があると判断されたりすることはありません。あなたは創造された時から変わらず、永遠に完全です。したがって、くつろいだ気分で自分自身を受入れ、自ら選んだ人間の姿を――それを必要としないと思うようになる時点までは――大いに楽しみましょう。そうすれば、自分の神性を完全に自覚できて、その嬉しさが心に満ちるようになるでしょう。

――あなたが、この状態を実感していない唯一の理由は、それを体験することを自分自身に許していないことです。そしてあなたは、自己に対するネガティブな評価によって視野を遮り、真実を見えなくしているのです。

これに対する人類の確信が、なかなか普遍的なものにならない実情はご存じの通りですが、それを解きほぐすためにサナンダは、「(創造主)と人間との関係」を「一般家庭の親と子供たちとの関係」になぞらえて、印象的な説明を与えてくれています。そして個人として「神の愛」を受取るための、具体的な手順についても言及されています。

タイトルにある「帰郷」の正確な意味と、なぜその歓迎が「輝かしい祝賀から始まる」かについては、メッセージを最後まで読めば完全に納得できるしょう


サナンダのメッセージ

自分の本質に気づいて目が覚めた瞬間は誰にとっても忘れられない出来事で、その瞬間に自分が何をしていて、この目覚めがどれだけ突然やって来たのかを正確に覚えています。人生のあらゆることが「普通に」動いていて、次の瞬間に自分が「神と一体」であることを知り、あらゆる疑いや不確実なことが消えている――これ以上の歓喜があるでしょうか。

誰もが、神に創られたすべての存在が、その目覚めの驚異を体験するでしょう。それは誰にとっても定められており避けることのできない、常に「自己の魂の源と一体である」という「最も根本的な認識」の回復です。「自己」と「魂」と、そのどちらが欠けても完全ではなく、また「不完全」は有り得ません。したがって、あなたが自己の「もう一方」、つまり「あなたのハイヤーセルフ」「神なる自己」「あなたの一体性」を失うことは決してありません。それによって、あなたの「神聖な万物の一体性」の中での完全無欠性は、常に永遠に存在します。あなたは、「魂の源」と一体であるように創られており、その状態は定まっており変わることは有り得ませんが、それを一時的に見失っただけです。それは、あたかも空を通り過ぎる小さな雲に視界を一瞬だけ遮られたようなもので、次の瞬間には、永遠に輝く太陽を見ることができます。

神は「彼の創造物」を深く愛しており、それらが完全に目覚め、完全に気づき、完全に生きることを強く望んでいます。したがって、それは必ず実現するでしょう。痛みや受難を伴う「幻想世界」でゲームを演じるという選択権は、すでに撤回されています。だから皆さんの目覚めが現に起こっているのです。その兆候は、周りに溢れ返っているので眼を見開いて確認し、それを認識したら歓喜雀躍しようではありませんか。皆さんの中で誰一人として、神から忘れられ、置き去りにされ、見失われ、またどんな形であっても審判の対象となったり欠陥があると判断されたりすることはありません。あなたは創造された時から変わらず、永遠に完全です。したがって、くつろいだ気分で自分自身を受入れ、自ら選んだ人間の姿を――それを必要としないと思うようになる時点までは――大いに楽しみましょう。そうすれば、自分の神性を完全に自覚できて、その嬉しさが心に満ちるようになるでしょう。

あなたの本質は「愛」で、他の何者でもありません。したがって、この神聖な真実を、改めて自覚しましょう。それに気付いてほしいと神が望むのは、それによって皆さんに大きな喜びがもたらされるからで、皆さんに対する神の望みと意思は、皆さんが常に変わらず永遠にわたり喜びの中にいることだからです。あなたが、この状態を実感していない唯一の理由は、それを体験することを自分自身に許していないことです。そしてあなたは、自己に対するネガティブな評価によって視野を遮り、真実を見えなくしているのです。

「幻想」の主な様相の一つは、自己に対する皆さんのネガティブな評価です。皆さんが神からの離脱を選んだ時点では、それが皆さんに対する神の永遠の愛を拒否することだと分かっていました。しかし皆さんは、いずれにせよ神を必要としないことを、自らに納得させようとしたのです。それは、十代の若者が両親からの自立を立証しようとして、家を離れたり長期の世界旅行に出かけたりするのに幾分似ています。しかし自立を立証しようとする意思の心底では、物事がうまく行かない場合は、いつでも家に戻ることができるという認識を保留していたはずです。そういう事態が実際に起こった場合、彼らは、まだ十分に自立した大人になっていなくて一人では世渡りができないことに気づいて、いくらか恥ずかしい思いをしますが、それでも実家という安全域へ戻るものです。

さてそこで、そのことは、皆さんと神との関係に非常に似ています。心の奥底で皆さんは、常に自分の親に愛され大事にされていることを確かに知っていますが、内在する恥じらいが次のようなネガティブな自己評価と一体となって依然として残るのです――「まだ自分は十分じゃないし、独り立ちできないので家に戻るしかないが、たぶん受け入れられないだろう」――ところが親としてのあなたは、子供たちと極度の確執でもない限り、彼らが家に戻ることを「常に」歓迎することが分かっています。それは親としての子供たちへの愛であり、できる限り彼らを支えることが希望だからです。したがって「決して」拒絶することはないでしょう。

そしてもちろん、神は、私たちの「天の父」は、永遠に愛し続け受入れ続けます!

あなたに必要なことは、神を求め神に頼ることだけです。――完全な信頼を持ち、疑いや懸念や怖れや、またネガティブで不適切な自己評価などを脇に置き、あらゆる瞬間にあなたを取り囲んでいる「愛のフィールド」に対して完全に心を開きながら、それを行うことです。

神の報い、審判、拒絶などというものは存在せず、愛だけが存在します。そして、その愛は永遠です。いうまでもないことですが、ほとんどの皆さんは、自分の子供や、きょうだいや、配偶者や、友人などの、身体的または精神的な苦痛に対して、慰め安心させようとしたことがあるでしょう。その瞬間あなたの心底にあった相手への愛は、非常に強かったはずです。そして、神が持つ皆さんに対する愛の思いは、常に変わらず、もっと強くて、実際のところ皆さんの想像力を遥かに超えています。

あなたへの神の愛は間違いなく常にあなたと共にあることを、ともかく信頼して、あなたへの「神の愛」が絶え間なく燃えている、あなたの聖域、あなたの内なる祭壇へ入っていき、心を開いてその愛を受取るようにしましょう。それを神は、あなたに対して常に差し出しており、あなたが受け取るのを優しく待っているのです。そのように行って、神の抱擁の、温かさ、安らぎ、そして安心を感じてください。そこが、あなたの永遠の「故郷」で、あなたが「常に」完全に歓迎され、「必ず」受け入れられる場所です。そこは「あなたの故郷」だから、その中へ入る全ての権限を、あなたは持っています。あなたがそれを実行したとき、あなたの「帰郷」の歓迎は輝かしい祝賀から始まります。何故なら、あなたの「帰郷」は、痛切に待ち望まれているからです。

親愛なる皆さんの

サナンダ(ジーザス・クライスト)


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【目覚めの手帳(第6話)】全国大学の法学部の皆さんへ―「共謀罪」制定の危険について

――悪名高い「治安維持法」が施行された1925年から1945年にかけての日本は、法治国家であることを完全に放棄しました。
この法律は事実上、検挙と有罪とを直結させ、警察・検察の狙い通りの結果を実現させることが立法の目的であり、そのように法文が整備され、運用面では、多数の獄死者が出る過酷な拷問を常態化させる道を開いたのです。
したがって、この法律を根拠に検挙された多数のケースに対して、手順としての法廷は開かれたものの、弁護士や裁判官は実質的に何も手出しができず、ひたすら魂を持たないロボットの役割に徹するしかなかったのです。
そのような彼らの、胸中を察してみてください。また、職務に忠誠を誓った警察官や検察官の本心をも。

これと同じことを、日本に再現しようとする動きがあります。いま政府・与党が国会に提出している、いわゆる「共謀罪」がそれです。
正式名称は「犯罪の国際化及び組織化並びに情報処理の高度化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案」で、もともとはマフィアなどの「越境犯罪」を防止する国際条約がすでに締結されており、それに対応する国内法を整備するものであると説明されています。
しかし、この法案は、このような法律を創設しなければならないような国内事情(立法事実)がないことを法務省が法制審議会で明確に認めている一方で、適用対象を国内の一般人に拡大して、憲法が保障する基本的人権、思想および良心の自由、集会・結社・表現の自由、そして通信の秘密などを、実質的に骨抜きにしようとするものであることは明白です。
したがって、法案自体が明らかな憲法違反なのです。

具体的には、「共謀罪」は、2人以上で犯罪の実行を話し合い、合意すれば、そのこと自体を犯罪として扱うとしています。犯罪が実行されなくても処罰の対象となる点で、これまでの刑法とは決定的に違います。
近代の刑法は、犯罪の意思だけでは処罰せず、具体的に加害の事実が現れて始めて処罰の対象にすることにしています。つまり、「行為」があって始めて犯罪が成立するというのが刑法の大原則です。
しかも、「共謀罪」は、対象とする犯罪が500以上もあり、「当事者の合意」という客観性のないものを処罰の対象としており、同時に当事者のどちらか一方でも、自首したときは刑が減免されることになっているので、恐るべき事態が起こることが予想されます。「治安維持法」時代の社会状況の再現です。

「共謀罪」では、人々の会話や電話、そしてメールの内容そのものが犯罪になりうるので、犯罪捜査の名目で電話やメールの盗聴や傍受、また通信記録などの閲覧、そして市民団体へのスパイの潜入が常態化するでしょう。実際に、この法案には既に、それを容易にするような条文を、巧妙に潜り込ませてあります。
密告が奨励され、陰湿な監視社会が現実のものになることでしょう。
そして、最後の決め手は本人の自白しかないので、拷問やそれに近い密室での悪行が、必然的に増えてくるでしょう。
拷問によって、あるいは長期の留置や勾留による心身の疲労から、心ならずも「自白」したかもしれない被疑者を、弁護士としてのあなたが、どう弁護できるか考えてみてください。
組織を挙げて「共謀罪」に反対している日本弁護士連合会の平山会長は、「共謀罪」のケースは、「どんなに優秀な弁護士でも弁護できない」と話しています。

何らかの形で法曹の世界に関わっていこうとしている、あなた方の勉学の意義と将来の進路にとって、絶対に軽視することのできない問題が目前にあるのです。
単に刑法や刑事訴訟法の領域だけのことでなく、先人が営々と築いてきた、法の基本精神や法体系を完全に破壊しようとするのが、この法案の本質です。法治国家の根幹を揺るがす問題です。
したがって、あなた方の専攻が民法や商法、あるいは政治学であっても、決して看過することはできないはずです。
ぜひ級友の皆さんと、あるいは指導教官を含めて、この問題に対して、あなた方として何をやるべきかを話し合ってください。
いま何も行動しなければ、悔いを千載に残すことになるでしょう。

既に国会で2回廃案になっているこの法案を、性懲りもなく提出してくるのは、例の「9.11」以降にブッシュ政権によって喧伝されてきた、「テロとの戦い」の余熱が冷める前しかチャンスがないとみているのでしょう。
その意味で、この法案は、根っこにおいてブッシュ政権の命運だけを頼りにするものとも言えます。
しかし、「9.11」や「テロとの戦い」のすべてが、ブッシュ政権の作為による虚構であるとしたらどうでしょうか。
よく使われる手法ですが、恐怖心を煽るのに最も有効な方法は、「狼少年」本人が、密かに「恐怖の出来事」を引き起こすことです。
今や、「イラク侵略」の虚構は、全世界で周知の事実になっています(ちなみに、アメリカのメディアが当然のように「イラク侵略」と呼称するなかで、日本のメディアだけが「イラク戦争」という曖昧な言葉を使っています)。
一方、すべての状況の出発点になっている「9.11」の「化けの皮」も次第に剥がれて、「公式発表」の対極をなす新たな共通認識が形成されようとしています。
彼らの企画は、粗雑そのもので抜け穴だらけなのです。
それは、マス・メディアの完全支配を確信している彼らの傲慢が生んだものでしょうが、現代では、情報を伝えるのはマス・メディアだけではありません。

例えば、次のサイトで、ワールド・トレード・センター(WTC)第7ビルの崩落のビデオを見ることができます。
http://www.wtc7.net/videos.html
ここで、誰の目にも明らかなことは、この鉄筋コンクリート造りで矩形のビルは、崩落の直前には、完全な姿で立っていることです。
それが、上部の均整な形状を保ちながら地面に吸い込まれるように降下していき、わずか6秒半で、47階の全体が地面上に姿を消すことです。
このような作業は、大型のビル解体で使われる、各階の構造上の急所に爆薬を仕掛け段階的に爆発させる「制御破壊(controlled demolition)」以外の方法で行うことは不可能で、そのための準備には数週間かかるとされています。
「同時多発テロ」の攻撃を受けたその日のうちに、周囲一帯が封鎖され第7ビル自体も一部で火災が起こってるなかで、仕掛けを造って解体させることなどありえないことは明白です。
そして、WTC全体のオーナーであるラリー・シルバースタインが言う「彼ら(ニューヨーク市消防本部)」が、消火活動の一環として、急遽それをやるのも考えられないことです。

おそらく、この作業を請け負ったのは、その名も「制御破壊インコーポレーティド(Controlled Demolition Inc.)」でしょう。何故なら当社が、WTC全体の残骸の処理(いわば後工程の作業)を一手に請け負ったからです。
ちなみに、第7ビルにはCIAやFBIも入居しており、また23階には(こうした事態に対処することを名目にした)ルドルフ・ジュリアーニ市長が約17億円かけて構築したとされる「市長の危機管理オフィス」がありました。
したがって、「解体」の実行には、少なくともラリー・シルバースタインに加えてジュリアーニ市長(次の選挙に立候補せず引退)の承諾があったはずで、それは、当初からの計画の一部だったのでしょう(そうでなければ、これだけ重要な機能を持つビルに、あらかじめ爆薬を仕掛けることなどありえないことです)。
また、実際に飛行機が衝突した第1ビルと第2ビルの、ほとんど同様の垂直な崩落も、連続的な爆発音を聞いたという消防士たちの証言からみても、「制御破壊」によるものである可能性が濃厚です。

以上は、いわゆる「同時多発テロ」をめぐる壮大な陰謀の、氷山の一角です。
(後略)

本質的な自由を手放して小さな一時的安全を買う者は、

自由も安全も受けるに値しない。Benjamin Franklin

(〔06〕=2006年5月

【補注(外部リンク】(2017年2月)

日弁連は共謀罪に反対します―共謀罪なしで国連越境組織犯罪防止条約は批准できます(日本弁護士連合会)

恐るべき原発の負の遺産―「東芝解体(週刊・東洋経済)」を読んで

近年の私は、古巣の日立を始め「企業動向」には全く関心がありませんでしたが、先日どこからか「東芝解体」の文字が飛び込んできたとき、何か因縁めいたものを感じて「東洋経済(2月4日号)」を手にしてみました。

その因縁というのは、1993年11月に春秋社から第1刷を発行した『タスマニアの羊―成長神話を超える経済へ』の中で、高速増殖炉開発や再処理工場建設の危険性、また日本が進めている「(使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを抽出する)核燃料サイクル」がいずれ破たんすること、そして「高レベル放射性廃棄物」を最終的に処分する方策を持たない「原発(原子力発電)」からの完全離脱を目指すべきことなどを論じたからです。

それが「東芝」とどう関連するかは、2006年10月に東芝がアメリカWH社を約6000億円で買収したとのニュースに接した時、「東芝は危険な賭けに出た」というより「東芝はババを掴んだ」と直ちに思ったことです。ちなみにWH(ウェスティングハウス)は、GE(ジェネラルエレクトリック)と並ぶ、アメリカの大手原発(開発・製造)会社です。
その後の確か2010年ころ、日立コンピューター関係事業所のOB会の2次会で、日立の財務担当役員だった後輩と雑談する中で、その彼が「株価で東芝に抜かれた」と残念がるのを聞いて、「東芝はババを掴んだから遠からず再逆転するよ」と話した一幕もありました。

また日立も、東芝や三菱重工と同様に原発を主力事業の一つとする会社でしたが、上記した私の著書を出版した直後に、故・三田会長が役員会で『タスマニアの羊』を読むように薦めてくださり、その話が日立グループの末端まで伝わったことが大きく寄与したのか、「こんな硬い本が三刷まで行ったことが業界で話題になっている」と春秋社の社長から聞かされました。
三田さんは1972年当時、それまで赤字続きだった日立のコンピューター事業再建のために特命を受けてコンピューターの中核事業所に赴任された際、社員食堂で使っていた「割り箸」を(資源を大切にするために)繰り返し使用する「塗り箸」に替えさせたような大局観の持ち主だったので、『タスマニアの羊』の基本理念を評価していただいたようです。

さて、本筋の「東芝解体」の件ですが、まだ前途には不確定要素が多々あるとしても、「東洋経済」の28ページに及ぶ特集記事は、「週刊という短いサイクルでの編集を強いられる中で、よくぞよくここまで」と思わせられるほど深層に及んでいます。
そして問題の核心は、私が直感した通り「WHの買収」に起因していました。

簡単に言えば、親会社東芝は、子会社WHが抱え込んだ出来事によって、2016年の初頭と年末に「ダブルパンチを食らった」のです。
その「第一撃[注1]」は、他の要因も含めて、2016年3月期決算の最終赤字4600億円に反映しています。そして「第二撃[注2]」は、2016年末にWHに起因する新たな赤字要因として東芝が公表し、詳細は精査中という「数千億円(7000億円ともいわれている)」です。

[注1]:約6000億円のWH買収価格が、一般に認められているWHの資産価値を上回る部分を、東芝は「のれん(無形固定資産)」としてバランスシートの資産に計上していたが、2008年を最後として新規受注がない状況を受けて、2016年3月期決算で「のれん」から2600億円を「減損(資産を減額して特別損失に計上)」し、会計の一部を正常化した。

[注2]:WHが2008年に受注した2件の原発(いずれも米国)の建設中に起こった「福島原発事故」を受けて米国の規制が強化され、WHは設計変更を余儀なくされた。そのため建設工事が遅延し、プロジェクトの予算を上回るコストが発生、その追加費用の負担を巡って、WHと建設会社そして発注元の電力会社の三者による「訴訟合戦」が起きた(2012年~2015年)。
この「合戦」は、2015年夏にWHが建設会社を買収する形で三者の合意が取れ、追加費用(工事費の増額分)を電力会社が負担する形で決着したとされていた。
しかし追加費用の見積もりで関係者間に誤算があったのか、あるいは電力会社との間に裏取引があったのか、「当の建設会社の親会社」がWHに対して新たな訴訟を起こし、裁判所の判断が出るまで、こう着状態に陥った。
しかしWHにとって数千億円規模の追加費用が発生することは間違いないようで、それが東芝に知らされたのが2016年12月初旬。
それから東芝の緊急会見(「数千億円の赤字が見込まれる」:12月27日)、金融機関への説明会(2017年1月10日)と、「名門・底なしの危機(東洋経済誌の表現)」が表面化した。

同社の株主資本は既に3000億円程度にまで落ち込んでいるので、このまま2期連続で5000億円規模の最終赤字決算になれば、「債務超過」に転落し「上場廃止」になりかねないという状況です。
この大問題が浮上する前の2015年には、東芝の不正経理が大きな話題になりました。
それを受けて発足した同社の新体制は、不正経理で(2009年以降に)水増しした利益の是正や上の「第一撃」などを2016年3月期決算で清算し、好調な半導体メモリー事業の利益によって、業績を上向かせる目途が立ってきた矢先に今回の「第二撃」を食らったのです。
そして2017年3月期決算を目前に控えた現時点で、東芝が採り得る手段は極めて限られているようです。

このような苦境で普通の企業が最初に行うことは、新株発行による「公募増資」によって資本金を増やし、まず現金を手にすることです。
しかし東芝の場合、上記した不正経理の発覚を受けて、2015年9月に東京証券取引所などから「特設注意市場銘柄」に指定されており、公募増資を行う道は実質的に閉ざされています。
さらに、2016年3月期決算を確定する過程で既に、「債務超過⇒上場廃止」ぎりぎりにまで追い込まれており、「優良子会社の株式売却[注3]」など緊急に採りうる大胆な(というより苦し紛れの)手段を使ってしまっています。

[注3]:「東芝メディカルシステム」の全株式を売却(6655億円、キャノン)、「東芝エレベータ」がフィンランド・コネ社の全株式を売却(1180億円、機関投資家)、「東芝ライフスタイル」の株式の約8割を売却(514億円、中国の家電会社)などで約1兆円の資金を捻出。

「東洋経済誌」が「東芝解体」という踏み込んだ表現をしたのは、そのような背景を詳細に分析した結果とみられます。
その上で同誌は、3つの「解体シナリオ」を提示しています。

1.絶好調の半導体を放出
2.優良資産をすべて売る
3.原発ビジネスから撤退

誰でも容易に想像できるように、どれも「いばらの道」のようです。

例えば「半導体事業」は、現時点で東芝が世界のトップ10に名を連ねる唯一の日本企業で、特に急成長しており今後は更に大きな伸びが見込まれている「(NAND型)フラッシュメモリー」では、トップを走る韓国の「サムスン電子(約30%)」に次ぐ世界シェア(約20%)を持っています。
そして東芝の利益の大半をこの事業が出しているので全体を放出するわけには行かず、これを分社化した上で、その何割かに外部資本を受入れることによって当面の資金を調達する計画が既に進行しているようです。
しかしそれが実現した場合、当然ながら、同事業が稼ぎ出す利益の何割かが外部に流出することになります(一部では「禁断の果実に対に手を出してしまった」と言われているようです)。

優良資産を売る」とは、東芝が資本の過半を持つ(上場または非上場の)子会社を売りに出すこと、または半分以下の資本を持つ近縁・有力会社の株式を手放すことですが、前記したように2016年3月期決算を確定する過程で既に、外部企業や機関投資家から見て「おいしい部分」の大半を手放しています。

原発ビジネス」については、子会社WHが抱えている巨額の「負の遺産」を考えると、これを分離して売りに出しても、買い手が現われて交渉が(東芝のプラスになるように)成立する可能性はほとんどないでしょう。
また東芝・WHグループが建設して稼働中の原発、および受注して建設中の原発への「製造者責任」を考えると、建設・稼働が長期にわたる巨大プロジェクトという原発の性格により、簡単に「撤退」が実現することは考えられません。

ここで、今回の「東芝・WHの悲劇」の全体像を眺めると、表面的には、2011年3月の「福島原発事故」が東芝・WHの野心的な目論見を「暗転させた」ように見えるかもしれません。
しかしそれは、事の本質から遠く離れています。
次のグラフをご覧ください。

この「IAEA(国際原子力機関)資料」に基づくグラフ(「東洋経済」による)は、2020年と2030年の2時点における原発による世界全体の「発電規模(ギガワット:稼働中原発の出力にリンク)」を、2008年から2016年に至る「各時点で、どのように予測していたか」を示しています(折れ線グラフ)。

これを一見すると確かに2011年以降「予測値」が大きく尻すぼみしており、「福島原発事故」が原発への期待を「暗転させた」ように見えるでしょう。
しかし、これを客観的に眺めると何のことはない、「裏付けのない過大な期待」をIAEAやそれに連なる方々が、2006年から2010年にかけて一方的に膨らませただけで、福島事故を受けて、その「架空期待」が「正常」に戻ってきただけです。
例えば「2015年時点での2020年の発電規模(予測)」は、2015年の稼働実績とほぼ同水準で、2016年時点での予測では、それより更に減る見込みとなっています。
また2005年から2015年の原発による発電規模(実績値:棒グラフ)は、各時点において、後年に向けて急増する傾向を示していません。それどころか、「現状維持」が精一杯の線だったのです。
さらに、東芝・WH連合は、2008年の2件を最後として、2016年まで1件の新規注文も獲得していません。

むしろ「福島原発事故」が(結果として)果たした大きな役割は、「原発の本質」について世界の人々を目覚めさせたことでしょう。
それを受けてEUでは、ドイツ、ベルギー、スイスが、期限を決めて原発を全廃する方針を決定しました。
スペインとスウェーデンもその流れに追随し、スペインは原発の新設を中止することを決めました。現状で原発依存度が50%に近いスウェーデンは、新たな建設計画を凍結させる原発政策に舵を切り、全廃の期限は設けないものの、自由化された電力市場で、原発が次第に消滅していく「自然死」の道を選びました。
原発大国フランスでも原発への考え方が大きく後退し、原子力依存度を下げる検討を行っています。
またイタリアは、そもそも原発を使用しない方針を堅持しており、現在も原発による発電はゼロです。

その中で特にドイツは、同国が元々指向していた流れを加速させて、再生可能エネルギーによる発電量が既に30%を超えています(日本は5,6%)。
そして2025年に40~45%、2035年に55~60%とする目標を掲げていますが、最近の実績は常に目標を上回っているので、容易に達成できると思われます。
ドイツの場合、再生可能エネルギーの柱は今のところ太陽光発電と風力発電で、これらは日中変動や季節変動が大きくて基幹エネルギーにはなり得ないとする「外野の専門家の意見」にもかかわらず、ドイツでは日中のピークは太陽光発電がカバーし、季節変動の少ない風力発電を基幹に据えるなど、地理的特性と発電方式に応じた立地分散も含めて巧妙にバランスをとり、そこから生まれる「余裕」によって、現に隣国フランスとのエネルギー輸出入では約10テラワット/年の輸出超過になっています。

一方、再生可能エネルギーの価格については、既に風力発電は「最も安いエネルギー源」になっており、また太陽光発電は「ソーラーパネルの急速な価格下落」によって、2040年までの「累計」で「最も安いエネルギー源」になると推計されています。
ドイツ市民は、そのような展望(2023年以降は賦課金をゼロにできるとされている)を信頼できるからこそ、今のところ電力料金に上乗せされている「再生可能エネルギー賦課金」を(産業用の大口電力を安くするための上乗せ分を含めて)受容しているのでしょう。
日本はもっとドイツに学ぶべきで、自然との共生や環境保全について何の見識も理念もお持ちでないように見える「トランプのアメリカ」のご意向を、事毎に忖度(そんたく)しなければ前に進めないような国家運営に陥ることは最悪の選択です。

ここで、「ビジネスとしての原発事業」を客観的に眺めれば、この先でも共通的に成立ち得るものは、
① 稼働している原子炉が必要とする交換燃料の供給
② 製造者責任としての稼働の維持管理
③ 役割を終えた原発の「廃炉作業」
――くらいしか残っていないでしょう。

日本独自のものとしては、さらに
④ 福島事故の後始末
⑤ 高速増殖炉「もんじゅ」の後始末
⑥ (何年にもわたり巨費を投じてきたが、いまだに稼働できない)青森県六ヶ所村「使用済み核燃料再処理施設」の後始末
⑦ 福島原発事故を受けて停止中および再稼働した原発の廃炉
⑧ 高レベル放射線廃棄物の最終処分(適地がどこにも見つからない)
⑨ 英・仏に委託した「使用済み核燃料からプルトニウムを抽出する作業」に伴って発生し、現に委託先に大量に溜まっている「核廃棄物」の引き取り(日本に引き取り義務があるが、海上輸送という危険が伴う)
⑩ 日本が現に(国内および再処理委託先の英・仏に)保有しているプルトニウム(約50トン)の始末(参考:「たまり続ける日本のプルトニウムに募る懸念」「減らぬ日本のプルトニウム 米、核再処理に懸念」)。
――などがありますが、これらはもはや電力会社や原発メーカーが、技術的にも資金的にも主体的に取り組むことができるレベルを超えており、無定見に「国策として」原発を推進してきたことの「巨大な負の遺産」です。
いま行われていることを簡単に言えば、「ひたすら問題を先送りして後世代にツケを回している」ということになるでしょう。

また「惑星地球の問題」としてとらえれば、「核の問題として同根」の、核兵器を含めた「グローバルな負の遺産」を人類は抱えています。
目下の急務は、宇宙スケールの「新時代への移行」が目前に迫っており、惑星地球は緊急に「身辺をクリーンにする」ことを迫られていることです(それができなければ人類にとって「衝撃的な移行」になるでしょう)。
その対処方策は、人類が持つテクノロジーや時間枠を考えれば、大きく「人智を超えている」とみられます。
しかるべき手順を踏んで「宇宙同胞に支援をお願いする」のが唯一の道ではないかと考えられます。
次は、この方面になじみが無かった方のためのご参考です。

1.人類の現状をこのように見ています―アンドロメダ銀河代表
宇宙挙げての支援活動」を実感させられる新春メッセージ
3.新世界への扉―創造主

ともあれ「福島原発事故」は、原発というシステムの「製品寿命を縮め」「その本質を露(あら)わにした」のです。それを認めたくない方々が、いるかいないかに関係なく。
日本や世界の、他の原発メーカーや企業グループも、「原発の新規受注・建設」にこだわる関係部署の独走に引きずられている限り、第二、第三の「東芝・WHの悲劇」は避けられないでしょう。
時代が大きく転換しようとしている今こそ、「地球の新時代」への企業サイドの対応として、経営トップの見識と指導力が問われます。

【目覚めの手帳(第5話)】原発に明日はない―「核燃料サイクル」の破たん

(高速増殖炉開発と再処理工場建設)
核分裂で発生する「高速中性子」を水(軽水や重水)などで減速しないで核分裂反応を持続させる高速増殖炉は、原料ウランの99.3%を構成する「燃えないウラン(ウラン238」を、核分裂物質であるプルトニウムに「転換」する。原料としてウラン(核分裂性のウラン235を0.7%含有)と一緒に投入されるプルトニウムに対し、「転換」されたプルトニウムの方が多ければ、あたかもプルトニウムが「増殖」されたようにみえる。「増殖炉」と言われるゆえんである。
このタイプの原子炉を冷却する素材としては、水やハロゲン(フッ素、塩素など)に触れると爆発的に反応する液体ナトリウム以外には見つかっていない。また、発ガン性など、毒性が極めて強いプルトニウムを原料(燃料)として用いる点も特徴のひとつである。

他のすべての先進国が、この炉の開発を事実上放棄した今でも、資源小国の日本こそ、長期的なエネルギー資源確保の立場から、積極的に開発を進めるべきだという主張は、それなりの説得力を持っている。
日本は、そのような視点から、高速増殖炉の開発と並行して、実用発電炉(軽水炉)の使用済み燃料を再処理して、プルトニウムを抽出する作業を続けてきた。これまでのところ、再処理のかなりの部分はフランスとイギリスに委託してきたが、国内で唯一の茨城県東海村の再処理工場に加えて、新たに青森県六ヶ所村に大規模な再処理工場を建設し、2000年以降プルトニウムを完全に「国産化」することを目指している。
一度使った核燃料は再利用せず、そのまま廃棄物として処理する「ワン・スルー」といわれるアメリカの方針に対し、日本のは「核燃料サイクル」といわれる。実は、この方針でやってきたことが、日本における原子力利用の全体を、じわじわと出口のない泥沼に追 い込みつつあることを、全貌をつかむ立場にある関係者が最も深刻に認識しているに違いない。

高速増殖炉の原型炉である「もんじゆ」に初期装荷するプルトニウムは約1トンである。 「増殖炉」であるから、先々の取替用燃料は自ら賄うことができる。この他、新型転換炉という増殖炉と軽水炉の中間の性格を持つ炉型の原型炉「ふげん」があり、これもプルトニウムを用いるが、その使用量は「もんじゆ」より少ない。
これに対して、仏、英から今後引き取るプルトニウムは29トンもある。加えて、東海再処理工場でも、2020年頃までに約5トンを生産できる。もし六ヶ所再処理工場を計画通り作れば、更に50トンが加わる。「もんじゆ」に続く第二原型炉もしくは実証炉は、もし電気出力60万キロワット程度のものを建設するとすれば約1兆円かかるといわれているが、現在の状況では、その必要性を理屈づけることはできないし、そもそも建設場所を確保することができないであろう。いずれにせよ、「増殖炉」や「転換炉」の数を増やしても、プルトニウムを減らすことにはならない。

こうして、軽水炉から出る使用済み燃料の再処理を続ける限り、プルトニウムが増え続けることになる。プルトニウムの保有は、その毒性だけでなく、核兵器への転用がウランより容易(50トンで、原爆を6250発作れる)という意味で、厄介な問題を提起する。アジアの先発途上国や中東の産油国が、目的は別のところにありながら長期的なエネルギー政策の一環と称して「合法的に」、日本をモデルにしてプルトニウムの「備蓄」に励むようになったら、どういうことになるであろうか。その可能性は、決して少なくない。プルトニウムは、平和国家日本では、短期間たりとも貯蔵することを許されない物質なのである。

そこで、軽水炉でプルトニウムを燃やす「プルサーマル」という方式が提案されている。 燃料は、ウランとプルトニウムを混合した「MOX」といわれるものを用いる。実際問題として、「プルサーマル」を大々的にやらない限り、過剰なプルトニウムを「消費」する手段がないことは間違いない。これは、「増殖炉」や「転換炉」を脇役に追いやり、「再処理―軽水炉(プルサーマル)―再処理」を主体とする構図である。プルトニウムを確保しようとして、再処理を始めたことが、これにつながった。
六ヶ所村の再処理施設の建設費は1兆円に近い。「MOX」の加工施設にも、別に巨額の建設費がかかる。それらの運転に要するエネルギーと経費も馬鹿にならない。適正にコストを配分すれば、「プルサーマル」によって生み出される電力は、とんでもなく高いものになるであろう(再処理を行っても、セシウムやストロンチウムなどを含む「高レベル放射性廃棄物」は残るので、廃棄物処理費用の大幅な節約になるわけでもない)。

「核燃料サイクル」の問題は、それだけではない。ルートの至るところに、使用済み燃料の、不安定な「中間貯蔵(プールに貯えられる)」が発生する。これは、冷却のために必要な期間に加えて、再処理のための「工程待ち」の期間が加わる。一般に、システムの構造が複雑であればあるほど、中間滞留が膨らむことは工程管理の経験則である。実際に、その状況はすでに起こってきており、電力会社が頭を痛める問題となっている。
また、「高レベル放射性廃棄物」の最終処分地の問題も未解決である。すなわち、2000年以降、ガラス固化した「高レベル放射性廃棄物」の地中への埋設処分が現実の課題となってくる。これは「地層処分」といわれる。再処理の委託に伴って仏、英で発生したものも引き取って処分しなければならない。日本には、無人の場所がない。適地を捜し出 して住民の合意をとることは、ほとんど不可能ではないだろうか(北海道幌延町に「地層処分」の研究施設を作る計画は、研究施設をそのまま恒久施設にしてしまうというお決まりの手法に対する住民の疑念から、中断したままである)。

この問題は、「地層処分」の前の「冷却貯蔵期間(30~50年)」があるので、いま現在、実施すべき時期が到来していないという救いだけしかない。最終処分地が決まらなければ、「地層処分」待ちのガラス固化体貯蔵容器(キャニースター)が、限りなく増え続けることになる。これの貯蔵もまた難題である(場所としては、六ケ所村が予定されている)。
更にその先に、寿命が尽きた原子力発電所の解体処分の問題が待っている。ちなみに、米政府は、軍事用プルトニウム生産工場跡地の汚染浄化に、今後30年間に300億ドル(約3兆1500億円)を投入するという。

次々と打ち出される原子力関連施設への巨大投資は、経済的合理性の域を超えている。核燃料サイクル、つまりプルトニウムの利用に拘泥することは、日本の電力会社と原子力産業全体を、コスト意識を持つ正常な産業から、政府も巻き込んだ巨大な残務処理機構へと変質させていく。これは、関係者の誰も予想せず、誰も望まなかった事態ではないだろうか。
プルトニウムの蓄積を常にゼロにするように、燃料を加工し、炉を運転し、再処理を行ってプルトニウムを抽出し、それをまた燃料に加工するというサイクルを運営することは、不可能に近い。プルトニウムを燃やすだけの目的で、新たな炉を作る事態になるかもしれない。そのプロセスで、使用済み核燃料の「プール」への中間貯蔵と、高レベル放射性廃棄物の最終処分待ち「キャニスター」が、どんどん溜ってくる。何が本来の目的だったのか、だんだん分からなくなってくる。周囲状勢の変化に対して、ネコの目のように方針を変えながら、天文学的な資金を湯水のように使って対処せざるを得ないという、自ら作り出したものに振り回される構図である。

(後略)

(〔05〕=『タスマニアの羊(1993年11月)春秋社』第7章)