実在する航空機に酷似する宇宙船の映像集(Part2)について

(Q) 小松様 お世話になっております。

新たに、「実在する航空機に酷似する宇宙船」の動画を公開させていただきましたのでご報告いたします。

宇宙からのコンタクト――スペースシップ映像集シリーズ

どうぞよろしくお願いいたします。

(A) 拝見しました。

ありがとうございます。

今回の映像集では、静止画のスライドショーに加えて動画も多く挿入されているので、この世界に「あり得ないもの」または「あってはならないもの」を現実世界とシームレスに提示する(それを通じて人類の気づきと目覚めをうながす)という宇宙同胞の深慮と高度なテクノロジーが際立っている印象を受けました。

その意味での今回のハイライトの一つは、高知県が運用している「消防防災ヘリJA05FD)」でしょう(映像の時間幅4:07-5:09)。このヘリには「おとめ」という愛称が付けられているようです。このようなヘリコプターが、「勤務時間中に」持ち場を離れて「頻々と」関東の内陸部へ「外遊」するようなことは、まさに「あってはならない」ことでしょう。しかし機体は、高知県のホームページでも公開されている「おとめ」以外の何ものでもないように見えます(2機目の消防防災ヘリコプターの運航開始及び愛称の決定について)。

このような(飛行中の動画を含む)映像をご覧になって、高知県民の皆さんが何を感じられるか伺ってみたいものです。特に県庁の関係部署の皆さんや、高知新聞や高知放送、テレビ高知、NHK高知放送局など報道機関の皆さんが、どう受け止められるかを。同様のことは例えば、今回紹介されているドクターヘリに関して新潟県の皆さんや、以前紹介されていた警視庁のヘリに関して東京都の皆さんなど、数多くの類似のケースについても当てはまりますが。

今回の映像集から、もう一つハイライトを挙げれば、「(一か所から撮影可能な範囲に)5分以上も滞空していたヘリコプター」です(6:18-11:18、その一部のリピート11:18-12:00)。

このヘリは、かなり複雑な挙動を次々と見せてくれていますが、その中で最も印象的なのは、〔6:57(6分57秒)〕(リピート映像では11:48)の、「1秒間」に見られる「あり得ない」動きです。この「1秒間」に同機は、時間を4分割した前半の「3/4(4分の3秒」を使って右へ横進し、残りの「1/4(4分の1秒)」で(ほとんど一瞬に)元の位置へ戻ります。それが「カメラの手振れ」などでないことは、手前の太い電線は静止しており、ヘリだけが動いていることによって分かります。

画面右下の「歯車マーク」をクリックし再生速度を〔0.25倍速(スロー)〕に設定して、ご覧ください。また〔6:55〕あたりで一時停止して、「スタートマーク(▶)」に対して、「急速ダブルクリック(疑似コマ送り)」を繰り返してみてください。

上の動きが、なぜ「(この世界では)あり得ない」ことなのかは、次によって自明です。

このヘリは、ローター直径の約4倍の距離を「1秒間」で往復しています。このヘリに酷似している「(日本の公的機関に多数採用されている)アグスタウエストランド AW139」の仕様によると、「ローター直径:13.8m」「最大速度:310km/」です。したがって、13.8×4=55.2mの距離を1秒間で往復したということは、秒速110m時速400km)で、既に「ヘリの限界」を超えています。更に、左方向へ戻る場合の速度は、55.2mを「1/4」で移動しているので、秒速220m時速800km)となり、普通のヘリなら簡単に壊れてしまうでしょう。

しかも、このデータは、(推進機構や機体の空力特性により)「直進」よりも遥かに抵抗が大きく速度が出しにくい「横進での数値」です。

以上によって導かれる結論は、撮影されたヘリは「(実在機に酷似しているが)この世界のものではない」つまり「(創造主の意向を汲んで)宇宙同胞が生み出した宇宙船」だということになります。このように宇宙同胞は、外見的には限りなく「人類が供用している実在機」に酷似させながら、「飛行の時刻、場所そして状況TPO:Time Place and Occasion)」により、または「物理的特性」によって、「この世界のものではない」と人類が自ら判断できる素材を提示してくれているのでしょう。

それは人類が、無用の恐怖を抱くことなく、宇宙同胞の存在や宇宙の奥深さに対して目を開くのをサポートする、慎重で遠大な計画の一部でしょう。個々の人類にとっては、この一事を達成するだけでも意識の巨大な飛躍となり、その先に広がる無限の可能性につながることを、宇宙同胞たちは熟知されていると思われます。

(Q) 小松様 こんにちは。

スペースシップ映像集 Part2」について、子細をご検証くださり深く感謝申し上げます。

複雑な挙動で「5分以上も滞空していた」ヘリコプター型宇宙船に関しましては、スピードの比較までしてくださり、具体的にどれ程「この世界ではあり得ない」ことであるかを実感することができました。この宇宙船は、映像からは判別しにくいのですが、警察関係のヘリコプターにみられるブルーの機体にオレンジ色の太い縦の線が一本入っているタイプだったと記憶しております。

高知県の「消防防災ヘリJA05FD)」は「おとめ」さんという愛称なのですね。先日(6月10日)、洗濯物を干す為に2階のベランダへ出ると、すぐに同型と思われる真っ赤な飛行体が飛来したので、手を振って挨拶をして、そのまましばらく眺めていました。随分ゆっくり飛行している様子でしたので、1階にカメラを取りに行き、またベランダに戻ったのですが、それからでもしっかり撮影できたということがありました。

「実在する航空機の姿で現われる宇宙船」の写真や動画を撮影し、探究させていただく以前は、この世界の航空機について詳しく知る機会もありませんでしたが、自衛隊をはじめ、警察や消防関係の航空機、報道ヘリコプター等も、さまざまな希望を託されて素敵な愛称が付けられているようですね。機材の愛称を募集して決めることもあるようでして、関係者や航空ファンの方々の熱意と愛が感じられます。

実在する航空機タイプの宇宙船のことは、どのような機種であっても、総称して “シップさん” と呼んでおりましたが、最近は色々な航空機の機種を覚えて判別できるようになって参りましたので、ハーキュリーズさん、ヒューイさん、チヌークさん、ロビンソンさん…など、実際の愛称や社名等で呼ばせていただく機会も多くなりました。飛来してくださった時に、「ロビンソンさん、こんにちは!」という感じです。

創造主よりの人類への大きな贈り物であります、宇宙同胞のご支援、宇宙船の活動に対して、より一層、感謝と愛を深めさせていただきたいという想いでおります。

そして、小松様のおっしゃるように、「慎重で遠大な計画」に基づいた宇宙船の真実が多くの方々の共通認識となり、新時代に向けての意識の進化につながってゆきますよう期待したいと思います。

(〔PC版はこちら〕)

ことたまの さきはう 日々を送ってほしい―創造主

(Q) 小松様

いつもありがとうございます。

新たなメッセージを掲載させていただきましたのでご報告いたします。

魂の目覚め

神の子としての学び

どうぞよろしくお願いいたします。

(A) 拝見しました。

ありがとうございます。

今回の二つのメッセージは、二番目のメッセージ(~ことたま~)に「わたしとの対話 ・・・語りかけてほしいものである」とあり、これに関するクシナダのメッセージにも「日常の喧騒で あわただしく過ぎてゆく時を横に置き 神さまとの対話の時を紡いだり」とあるので、全体として一連のものともみられます。

以下は、それぞれについての感想です。

2.~ことたま

言葉や文字は、国や民族による違いはあっても、人類文化に共通する(不可欠の)意思伝達手段という理解が現代では一般的ですが、本来の姿はそうではないということがメッセージの冒頭で強調されていますね。

――わたしの想いを 多くの 〝 ことば 〟 で 今 伝えておるが この 〝 ことば 〟 も そなた達と より深く結ばれるために用意したものである

いつの頃からか 身魂の曇りしゆえに 想えば伝わるという意思疎通が困難になり

〝 ことば 〟 を必要と感じたゆえ 新たな 意思疎通の手段として編み出したのである

いつの頃からか」と明言を避けておられますが、もちろん「アトランティスの崩壊の前後から」でしょう。「身魂の曇りしゆえに」とは、その頃から現在に至るまでの、抗争と戦乱に明け暮れる人類史の中で、地球の人類が全体として「波動的に」低落に低落を重ね、それが「DNAの劣化」にまで及び、本来の能力が大幅に減殺されてしまったことでしょう。

想えば伝わるという意思疎通」とは、もちろん「テレパシー」のことでしょう。アトランティス崩壊前の人類が、創造主の意思によって創られた本来の姿を保持していたことは、多くの高次元メッセージによって教えられていることです。残念ながら「アトランティスの真実」が、それを知らせないことで利益を享受する勢力によって、ほとんど完璧に抹消されたように、「人類が持つ本来の能力としてのテレパシー」のことも、それと一蓮托生で消されてしまったようです。

――2012年や人類史の大部分に関する大方の議論について興味深いことは、約12,500~13,000年前にあなた方の惑星上で起こったこと、つまりあなた方がアトランティスの崩壊として知っていることについて、無視しているという点です。

また、その知識を葬り去ろうとして非常に熱心に働いた人たちがいます。彼らによって、化石に残された歴史やそのとき実在した証拠が、化石の記録というよりむしろ人工物などが、注意深く取り除かれました。それらはあなた方の惑星上で発見されたものですが、アトランティスの真実を実証するあらゆる証拠はことごとく破壊され、取り去られたのです。創造主 アセンションと2012年を語る

しかし「テレパシー」について、それがどういうものかを、私たちは宇宙同胞たちの生き様から知ることができます。例えば、人類と同様に身体(肉体)を持つ宇宙同胞の中で、最も進化しているとされている「ゼータ種族」に関しては、このように。

――お互いにテレパシーでコミュニケーションする能力があるから、私たちの間では隠しごとや不正や秘密といったものが一切ない。完全にオープンですべてが知れわたっている。私たちの共通の魂、つまりゼータ意識は、きわめて大きな、信じられないほど深い海につながることができるものの、私たち一人ひとりはその海の水の一滴でしかない。でも、その一滴一滴は水晶のように澄みきっているから、海全体は完全に透明で、道を外れた良くない考えが潜むような濁った部分や暗い深みがまったくないのだ。けれど地球では事情はかなり違っている。(アセンションものがたり(上)第1章)

ちなみに、さまざまな宇宙種族によって構成される「銀河同盟」では、すべての種族が「テレパシー」によって意思疎通するのは当然のことであっても、その全体会合のような場合には、種族による「思考の波の速度の違い」を同期化する仕掛けが採用されているようです。

――巨大な講堂は、おびただしい数のさまざまな言語と方言で話される期待の混じったささやき声と、笑いさざめきで騒然としていた。各人の座席には特別な翻訳装置が備わっていて、その席に誰かが座ると、いつでも自動的にその人の意識に接続される。この方法によって、全員が、演壇で話している人でもとなりの席に座っている人でも、その話していることを楽に理解できる。

この言葉の問題は、私たちもよく使っているテレパシーによる直接のコミュニケーションによって、基本的には解決できていることだ。けれども、惑星種族によっては、思考の波の速度が他の種族と比べて速かったり遅かったりするので、座席に取り付けられた翻訳装置によって、物事が多少なりともスムーズにまた効率的に運ぶのだ。(アセンションものがたり(上)第7章)

次に、「〝 ことば 〟 を必要と感じたゆえ 新たな 意思疎通の手段として編み出したのである」と言われるのは、創造主が、それまであった「意思疎通の手段テレパシー)」を失った人類の窮状を見て、「口を使って言葉を話す」新しい能力を、「言葉ことたま)」と共に各民族に与えられたものでしょう。

ちなみに「ゼータ種族」の口は、飲食や発声など人類のような役割を必要としないので、ほぼ完全に「退化」して「ごく小さい横線」に見えるものがあるだけです。

以上は人類の全体に該当すると考えられる想定ですが、それとは別に、日本語の基礎が形成されたとみられる「縄文時代」に焦点を当てると、今回の「ことたまメッセージ」がもつ独特の意味が浮上してきます。

そこで、世界に類例のない「日本の縄文時代」に関して、〔いよいよ世界的大浄化作用が始まる―創造主〕から、該当箇所の一部(3か所)を下に引用してみます。

①――以下では、創造主が今回メッセージの冒頭に置かれた印象的な言葉について、私の考察をご紹介します。

――日のもと 日本よりいでし輝きたる太陽 その太陽が東天に昇り

日のもと 日本よりいでし」という言葉を冒頭に置かれた主旨は、メッセージの送り主がほかならぬ創造主であることを考慮すると、このメッセージを眼にする人々が現段階では主に日本人だというレベルを超えているという印象があります。

そこで直ちに想起されるのは、日本における「縄文(縄紋)時代」という独特の時代の存在です。最も一般的な時代区分では、それは現在より1万3千年前から3千年前までの1万年の期間で、くしくも「ポスト・アトランティス(アトランティス崩壊後)の世界」に重なります。ごく最近に至るまで十分な研究調査が進んでいる「縄文時代」の最大の特長は「完全な平和が維持された1万年」で、世界史に類例のないものです。その質と期間の長さにおいて、アウグストゥス以後のローマ社会について言われる「パクスロマーナ(ローマの平和)」の比ではありません。

②――縄文時代を生み出した日本民族の原型は、ヴュルム氷期に向かう過程で、シベリアやモンゴルの樹林帯([]:「3万年前の植生」の図を参照⇒陸地の形状は現在とほとんど同じですが、植生は全く違っていました)を生活の場としていた民族の中で、適地を求めて陸続きの樺太を経由して南下してきた人々によって、また一部は浅海となった対馬海峡を小舟で渡って来た人々によって、構成されたことはほぼ間違いないとみられます(「旧石器時代」にも日本列島に人々が住んでいたことは事実としても、その数は極めて少なかった)。そのことは、「ミトコンドリアDNA分析」による研究結果として、縄文人は、現在の日本本土の日本人や沖縄の住民やアイヌたち、そして朝鮮人やモンゴル人と近縁の関係にあり、東南アジアの人々や南太平洋の人々とは、あまり関係がないとされていることにも合致します(つまり「日本人の南方起源説」は否定されています)。

③――気象の激変により、植物相や動物相も急変します。植物相は針葉樹林から落葉広葉樹林・常緑広葉樹林へ、動物相はナウマン象やオオツノジカなどの大型獣が絶滅して狩猟の対象がニホンシカやイノシシなどの中型獣へ、矢継ぎ早に変化していったのです。植物の採集と狩猟や漁労を生活基盤としていた当時の人々に対して、急激な適応を迫ることになったでしょう。その適応として、人々が互いに協力し助け合いながら4~6世帯程度の集落を構成して定住したと見られる遺跡が数多く発掘されています(竪穴住居跡、貯蔵用の穴、ゴミ捨て場、集会場または共同作業場など)。それらの集落は地域的に孤立した存在ではなく、日本全体にわたって交流の輪が広がったっていたことは、集落の類似パターンや土器に見られる「縄紋」の共通性だけでなく、例えば産地が信州の和田峠や霧ヶ峰に限定される黒曜石(勾玉など)が、広く中部・北陸・関東・東北南部から発見される事実によっても裏付けられます。

さらに想像すれば、上のような地勢的条件を備え、外の世界から隔絶された日本列島を、志願した魂たちが惑星地球の自然の中での生活を実体験する「神の実験場」とする目論見があった可能性もあります。「ポスト・アトランティスの地球」に「ヒトカミ」が最も近くで交流する場を創り、それを「雛形(ひながた)」として世界全体に広めたいという。その場合、創造主の意向を受けた「神々(天使界)」や「宇宙同胞たち」からの働きかけもあったと考えられます。

また、またヨーロッパの「ドルイド(ケルト民族)」やエジプトの「神々」、そして中南米の超古代遺跡を造った人々のように、事前に預言されていた「アトランティスの崩壊」を信じて早めに逃れてきた人々が、日本の縄文人に合流して指導的役割を果たした可能性もあります。日本に数多くある巨石の超古代遺跡が、それを証明しているのではないでしょうか。それ以外の可能性が考えられないのです。(すべてがつながる―アトランティス⇒マヤ⇒ドルイド⇒ストーンヘンジ⇒石舞台

いずれにしても、アトランティス崩壊後の地上世界の動きに特別の注意を払っていたはずの創造主を始め高次元の存在たちが、貴重な「縄文の価値」を見逃すことは考えられません。創造主の冒頭の言葉からは、「縄文再現」への期待が込められている印象を受けます。

――日のもと 日本よりいでし輝きたる太陽 その太陽が東天に昇り

(引用①~③終り)

ここで、上記した日本独特の「縄文時代」の存在と同様に、いま私たちが使っている日本語(その原型)がもつ世界に類例のない性格に焦点を当ててみましょう。

まず、一般に知られていることですが日本語は、(デファクトの世界共通語となっている)英語以上に、シンプルな構造を持っています。例えば次です。

①音節が簡単で、英語のように“th”や“st”のような二重子音で始まる単語がない。

②英語とは違って、冠詞や前置詞を使わない。

③名刺に性の区分がなく、単数・複数の区分もない

④形容詞に比較級、最上級という特別の形がない

⑤関係代名詞がない

言語学者の研究によると、これらの特徴は、トルコから中国東北部にかけて分布する「アルタイ語(チュルク語群、モンゴル語群、ツングース語群の総称)」と文法構造が類似しています。しかし日本語とアルタイ語との決定的な違いは、語彙(単語)の対応するものが少ないこと。そして「音韻対応」がとれないことです。「音韻対応」に関しては、日本語と朝鮮語との間でも、とれていないとされています。

「音韻対応」の実例として、例えば「日本語(東京方言)」と「琉球語(那覇方言)」とは、次のように完全な音韻対応がとれており、「共通の祖語」から別れた「同系の言語」であることが証明されています。

⒜腰:kosi(日本語)、kusi(琉球語):以下同順

⒝白:siro、siru

⒞他:hoka、huka

⒟米:kome、kumi

⒠雨:ame、ami

広く世界の言語を見渡して「完全な音韻対応がとれている」大規模な語族としては、よく知られているように「インド・ヨーロッパ語族」があります。これは、ゲルマン語(英語、ドイツ語など)、スラブ語(ロシア語など)、ギリシャ語、インド語(ヒンディ語など)を含み、「共通の祖語」から別れた「同型の言語群」であることが証明されています。

要するに日本語には、世界のどこを探しても、「共通する祖語が見当たらない」のです。日本語の場合は、「縄文時代」という、「テレパシーによる意思疎通の手段」を失った「ポスト・アトランティス」の世界で、(海水面の急上昇つまり「縄文海進」によって)孤立した列島で単一言語が使われてきた数千年を超える歴史があるので、当然のことと思われます。

言語学者の立場としては、これでは困るのでしょう。明治時代の末ころから始まり現在まで、延々と「理屈づけ」の「甲論乙駁」が繰り返されてきているようです。「発想の転換」をするだけで、「シンプルな答」が簡単に見つかるのに。

ちなみに、「言葉」に付随して、もちろん「文字」がありますが、後者は各民族が「必要に応じて」造り出したものとみられます。例えば日本人の場合、アトランティス崩壊から1万年以上にわたり、また人骨や石器などの化石が発見されている旧石器時代からは数万年以上にわたって、「文字を必要とした形跡」はまったくありません。ご存知のように日本で、中国から「借用」した漢字が、和歌などで本格的に使われるようになったのは天武朝(673~)の頃からで、仮名文字(平仮名、片仮名)の普及は、ずっと後の10~11世紀の頃です。

そこで、上で触れた「シンプルな答」とは、日本語は、「縄文時代」という「ヒトカミが近くで交流する場」に「天から降りてきた(与えられた)」と合理的に推定できるということです。また同様に「降りてきた」のは、「八百万(やおよろず)の神がみ」という言葉で象徴されるように、多数の天界の存在たちが、「交流の場」としての日本に「転生されてきた」または「精神体のまま飛来された」と考えられます。同様に「天から降りてきた」と推定されるものの例として、「土器の発明」があります。人類の歴史で土器が最初に出現したのは非常に古く、「ポスト・アトランティス」の初頭、約1万2000年前の「縄文の日本」でした。その他の地域では、西アジアで前8千年紀に、インドで前5千年紀に使い始めており、中国では、もっと遅れています。

ちなみに、上の「転生されてきた」ケースについて、使命を与えられて「ゼータ種族」から地球人に「生まれ変わった」女性の、ある会議での話があります。

――「皆さん全員が気付いていらっしゃるように、私たちの仲間と他の惑星文明出身の何人かが、現在、地球上で人間の姿に生まれ変わっています。これは双方向的な交流であり、私たちは、実際に地球人であるとはどういうことなのかについて最大限学ぶことができますが、同時に、彼らの間を物質的な地球人の姿で歩き回る機会が与えられるため、自分たちの教えやメッセージを、彼らがより理解しやすい方法で伝えることもできます。地球人の大部分は、私たちのメッセージをテレパシーではまったく理解できません。また彼らが宇宙船に連れてこられたときは、その恐怖によって、私たちのコミュニケーションの努力の大半が拒まれてしまいます。ですから多くの場合、その種族の一員として彼らの間に混じって暮らすことが、彼らに話を理解してもらうただ1つの方法なのです」(アセンションものがたり(上)第8章)

以上を前提として、「ことたまメッセージ」の上に続く部分を読んでみると、「ことたまの さきはう 国」と言われる「日本と日本語」を、特に意識されている感があります。

――音には波動というものがあり 音色とも言われる様に 魂に響く 美(うるわ)しき 〝 ことたま 〟 がある

――ことたまの さきはう 日々を送ることは 光の粒子が飛び交うことであり 生き生きとした日々を紡ぐことでもある

ここで言われていることの主旨は、言葉は波動だから「言葉づかい」に応じて「波動レベル」が決まり、そのように「聴く人の心)」に響きますよ。したがって、一つひとつの発言に「心を込めて」、「正しいとされている日本語で話す」ようにしましょう。皆がそのようにすれば、「光の粒子が飛び交う」ことになり、社会全体として「生き生きとした日々」が紡がれることになります――ということでしょう。これは、「ひめみこの詩」で与えられるメッセージで使われているような、「日本語の原型」に近いと思われる言葉づかいにまで戻りなさいという主旨ではないでしょう。しかし、それらのメッセージは、「言葉づかいの模範」として、大いに参考になります。

以上を敷衍すれば、どういう経緯、どういう状況であっても、人と人とが接触する場面での「話し方への戒め」となります。それだけでなく、インターネットや出版メディアなどでの情報発信、コマーシャルや販売の現場での店員の言葉づかい、そしてもちろん議会などの場でも、「刺激的な言葉」や「低次元の言葉」また「マニュアル依存の紋切型の言葉」などを使う風潮への戒めとなるでしょう。そうした配慮を欠かさないようにすれば、「一事が万事」で、あらゆることが違ってきますよ、と言われているようです。

――美しき 〝 ことば 〟 の使い方を学び わたしとの対話 身の周りの人々はじめ 弱きもの 小さきものに 語りかけてほしいものである

ここでは、「わたし(創造主:神)との対話」を、そのようにやってほしい、という「(神との対話という)いま最も肝心のこと」への願いが込められているようです。また「弱きもの 小さきものに 語りかけてほしい」とは、人類の中で苦難の日々を送られている人々に対してだけでなく、自然界の動植物に対しても、同様に接してみなさいと言われているようです。

(Q) 小松様 こんにちは。

『~ことたま~』についての貴重なご考察をくださりありがとうございます。宇宙のテレパシー事情についても興味深く拝読させていただきました。「ことば ことたまの持つ力」とは、本当に大きなものがあるということを改めて深く感じております。

――いにしえの やさしき 奥ゆかしさに満ちたことばは   自然界をも癒し 躍動させ   それが 人々の心にも 映じてきていた時代もあったわけです

――礼節ということを 神さまは とても大事になされます   昔から 立ち居振る舞いの大切さを伝えて参りました大和(やまと)のくに

とのクシナダ様のメッセージからも、日本語や日本の伝統的なものには、とても大切な意味があるように受けとめられますね。

“マスター・クートフーミでありサン・フランチェスコである方” よりも、

――日本の自然界の素晴らしさは 神が創り与え給うた恩恵   世界にも多々あれど 四季折々の光景は目を見張るものがある

とのお言葉がございましたが、多々ある言語の中でも、“ 自然界をも癒し 躍動させ ” ことのできる波動の高い日本語 “ いにしえの やさしき 奥ゆかしさに満ちたことば ” は、「日本の自然界の素晴らしさ」や「高き芸術」と同じように “ 魂の目覚めに通ずる道として (「魂の目覚め」)” 大神さまの深いおもいを込められて編み出されたものと思えます。中でも、和歌にみられる五七調の響きは、即座に歌の意味を理解することができなくとも、たいへん心地良く神秘的なおもむきを感じられるように思います。

「ことば」とも密接につながっているという順序、礼節を重んじること、美しい立ち居振る舞いなども、大神さまの思い描かれている人間の理想の姿「神さまの分霊 ” メシヤ ” 」に近づかせていただくための道筋として用意されているのですね。

さいわいにも 学ぶ環境は 十分に整っていると思われますゆえ」とのお言葉がございましたが、こちらの地域の図書館では、実生活に活かせる「大和言葉」や「美しい日本語」、「立ち居振る舞い」などの伝統について学べる本がとても充実しておりました。

一日がますます早く感じられる今日この頃ですが、心にゆとりを持てる時間をつくり、内なる神と共に、“ 光の粒子が飛び交う ” “ 生き生きとした日々を紡ぐこと ” ができるよう心掛けて参りたいと思います。

(〔PC版はこちら〕)

わたしに照準を合わす―創造主

(Q) 小松様 いつもありがとうございます。新たなメッセージを掲載させていただきましたのでご報告いたします。

魂の目覚め

神の子としての学び

どうぞよろしくお願いいたします。

(A) 拝見しました。ありがとうございます。

今回の二つのメッセージは、二番目のメッセージ(~ことたま~)に「わたしとの対話 ・・・語りかけてほしいものである」とあり、これに関するクシナダのメッセージにも「日常の喧騒で あわただしく過ぎてゆく時を横に置き 神さまとの対話の時を紡いだり」とあるので、全体として一連のものともみられます。

以下は、それぞれについての感想です。

1.~わたしに照準を合わす

このメッセージは、創造主が「いま私は人類の中で働いています」と自ら言われるように、惑星地球に「降臨」されて「陣頭指揮」をされながら、親元を離れて迷路にはまってしまった人類を本来の場所(つまり親元)へ戻そうと、日夜腐心されている多面的なご活動の一端をみる思いがします。

特に今回は、創造主に〝 照準を合わす 〟 〝 光を浴びる 〟ことができるようになる前提として、

――形として現われてこない魂という存在 そこを どうとらえるのか どの様に 分霊ということを感じたらよいのか

という、いまだに多くの人類が確信を持てないでいると思われる事柄について、次のように示唆されていますね。

――大自然を目にし その息吹を感じ 触れ

――心の琴線に触れる音楽 絵画等 さまざまあろう

――心の動き 湧き起こるおもいは 目には見えぬが おのれのことと自覚できよう

そして、「自然と心に湧き起こる そうした想いこそは わたしの愛に包まれている時と言えよう 光を浴びている時と言えよう」、と。

今では、「人間の本質は魂」という認識を持つ人は少なくないと思われますが、問題は、それが人類の共通認識になっていないことでしょう。したがって、この「最も重要な認識」を土台として社会を運営するようになっていないために、人類が抱えている問題の大半がそこに起因していることが共通認識にならず、抜本的に是正するメドも立っていない。この一点が変われば、あらゆることが極めてシンプルになるのに・・・。これに似たことは、「地球の人類は宇宙で孤立した存在ではなく、現に無数の宇宙同胞が地球へやって来て人類を支援する活動をしてくれている」という認識に関してもあります。

この点について創造主は今回メッセージで、こう言われていますね。

――目に見えないものを信じる環境が身の回りになく育つことが多い昨今 また 先立たれた人類の祖(おや)も同じ境遇に育ち 唯物思想の真っただ中で育まれた心は おのずと 目に見えるもののみを信じる道を歩まざるを得なかったと言えよう

――その迷妄を どこかで打ち破らねば わたしの元に到達することが出来ぬゆえ 今 わたしは こうして さまざま 想いを伝えておる

唯物思想の真っただ中で育まれた心」は、「迷妄」であると明言されています。

以上に関連して、これまでの数多くの「高次元から人類への働きかけ」の中で、すべての方に対して、どんなバックグラウンドを持っておられるかに関係なく、私がお薦めしたいものが二つあります。ここで特に私が意識しているのは、何事に関しても「心で感じるより先に、アタマで判断する」習慣を持つ方々ですが。

その一つは、〔新世界への扉―創造主〕のメッセージです。その要点を、以下に抜粋してみます。

――皆さんは、私から分かれて外に出て、永い旅を始めました。そして自ら持つ神の意識を忘れてしまい、それから遠く離れた独自の体験をするようになりました。皆さんは正(まさ)しく下降して、この生涯に身を投じたことによって、神としての自らの地位を後に残し、人間の限界によって形作られる人生に同意したのです。

――無限であることが宇宙の特質で、皆さんは、有限の体験を通じて宇宙を豊かにします。そして、このマトリックス(つまりこの世界)は、そのために造られた構造です。

――今では皆さんの多くの方々にとって、これらの体験を実践することが充分に行われ、使い尽されました。皆さんの記憶が回復することによって、人生が劇的に変わる時がやって来たのです。一部の方々にとって、それは一瞬の悟りですが、他の方々にとっては、各人の洞察力に応じて段階的に、このマトリックスから持ち上げられる具合になります。必要とされたことは「このゲーム」の本質を見抜くことで、あなたはその明察を得ます。忘却を生きる境遇を脱して、思い出すべきです!

――この疑問に対する答の手掛かりを拾い上げた人は誰でも、本当の人生への扉が開き始め、光への道に入ることができるでしょう。あなた自身の完成によって、この地球での奉仕活動は完結します。それが、このところ起こっていることです。自然の成り行きで「回復」が行われ、ほんの数か月前には未だ手の届かなかった意識の飛躍が起こって、人類の神性が明瞭に現れてきます。「新たな人類」の広がりが「母なる地球」に恩恵をもたらし、人類は彼女の重荷ではなくなります。

上のメッセージは、私たちの「本質(つまり魂)」が、もともと「(創造主)の分身」として創られ、どういう経路を経て現在に至ったかを、「一点の論理的破綻もなく」説明してくれています。したがって、人生のどこかの時点で「人生の意味」や「自らの本質」について思いを巡らすようになった方なら、誰でも納得できる説明だと思われます。そして創造主は、その先の私たちの進路について、以下のように「保障」されています。

――人生に神を持ち込む意味は、あらゆる瞬間に私が存在することによって新たな洞察が助長され、有害な影響力が手放されることです。

――あなたのそばに神を持ち、あなたの人生に神を持てば、あらゆることが可能になります。人がとても不可能と考えることでさえも。私の保護は絶対的なので、あなた自身を完全に私に委ねることです。

――いま私は人類の中で働いています。私がやって来たのは、認識への扉を押し広げ、皆さんを害から救うためです。根本的なポイントはこれです。――あなたが私の保護の下で生きれば、害はあなたに近づくことができず、あなたにとって死は、中身のない影(かげ)であり続けます。したがって私がお勧めするのは、さらに深くあなた自身の神秘の中に身を浸すことです。あなたの真実の断片を明るみに出すだけではなく。つまり、お勧めするのは、あなたを構成している素晴らしい現実の全体像を見るようにすることです。

私がお薦めしたい二つ目の「高次元から人類への働きかけ」は、一連の「創造主の使者『コンタクト・スペースシップ』の来訪」のことで、細部に至るまで徹底的に考え抜かれた構想に基づいて展開されており、その全体像や個々のケースを深く見れば見るほど、どんな異論も唱える余地がないように完璧な体系として構築されていることが分かります。

特に、低空を旋回するなどして、鮮明な写真が撮れるようにしているケースについて、それがいえます。

次は、〔実在する航空機に酷似する宇宙船を見せる創造の力・続3―ここまでの総括〕にある、私の感想〔Q&A(A)の部分〕の抜粋です。

――今回のプロジェクトを全体として眺めれば、宇宙同胞たちは企画の段階から、「実在機に酷似させるが手を尽くせば必ず実在機でないことを立証できる対象」を使用すること、そして人類に無用の混乱を起こさせないという基本方針を立て、それらを地上世界の現実とシームレスに提示することを通じて、私たちを穏やかに教化することを意図されているのでしょう。私たちは、この現象を深く掘り下げれば掘り下げるほど、背後にある想像を絶する構造を感じられるようになり、創造の神秘や多次元宇宙の巨大さに思いを馳せるようになるでしょう。そして、その根底にある創造主の意図に近づくことができると思われます。

私たちは今回、宇宙同胞アマンダが言われるように、遅々として目覚めが進まない地球人類に対する、慎重で遠大な「ウェイク・アップ・コール」の一端に接していると考えられます。

――現在は 地球上に存在する物体 主に飛行体の存在を使わせていただき いつ いかなる時にも 我々は宇宙同胞としての地球人の手助けに支障のない様 また 恐怖心をあおらず行動できるか 心を砕いて行動しております

縦横無尽に行動できることが必要と考え ありとあらゆる方向を探っております 銀河同盟に所属している宇宙同胞はおのおの必要な情報の共有 行動が成されますので 創造主の采配の元 ひとつと思っていただければよろしいかと思います

モーリス・アマンダとの対話

ちなみに、人類にとっての「アセンションへの道」を想うと、「銀色の道」が連想されます。タイトルの「銀色」は「光あふれる道」、しかし「遠い 遠い はるかな道」で、「ひとりひとり はるかな道は」「つらいだろうが がんばろう」、「続く 続く 明日(あした)も続く」、けれども「近い 近い 夜明けは近い」と歌われるところが。

しかも、この歌は途中で2回転調して、その都度「半音階ずつ」上がっていきます(正確には、「ダーク・ダックス版」は1番、2番、3番の順に、「ザ・ピーナツ版」は1,2番は同じで、3番、繰返しの3番の順に)。まるで「(横に)長~~~い階段」を僅かずつ昇って行くように。

(Q) 小松様 こんにちは。いつもありがとうございます。

ご紹介くださいました「新世界への扉―創造主」の冒頭で、

本当の自分はいったい何者なのか――この激動の時代を生きる私たちにとって、これ以上に重要な認識はないでしょう。それが個人としての、あらゆる判断の根源になるからです。そして、それを伝えるのに最も適切な存在は、私たちの魂の源である創造主をおいて、他には存在しないことも確かな事実でしょう。」

と、小松様が述べてくださっておりますが、本当に、そこが立脚点なのですね。直近のメッセージ「更なる高みへの始動」の中に、創造主のこのようなお言葉がございました。

生命の生みの親が わたしであると思っておるか  そこから 始まるのぞ  そこを 外しては 何も始まらぬぞ  

良いな  心うべき 大切なことにあるぞ

人間一人ひとりが神さまの子供である分霊(わけみたま)、という認識を持つことから “新世界への扉” が開かれてゆくのだろうと受けとめさせていただいております。

私と一緒に来るがよい!   新世界への扉を開いてあげよう。  永遠の「いのち」への扉も開いてあげよう。

私は全宇宙の、現に生きている意識そのもの、神です。

私は、すべてを統合し、あらゆる所に存在し、すべての「いのち」を愛し活かしている存在です。

新世界への扉―創造主より〕

とのメッセージは、たいへん印象強く「(創造主、主神)」という存在について明快に理解させていただけるように思います。

この度のメッセージは、『テラ~再生への旅~』の「記憶の扉」とも、通じ合うものがあるようです。「記憶の扉」の中では、創造主より、すべてのものに対して、

数えあげられぬ程 実は創造主のおもいがこめられて  いのちを吹きこまれているのだ

万物は すべて創造主の意(おも)いで生まれたものである  おのれが 意識しようとしまいと確かな現実なのだ

とのお言葉をお伝えいただきました。クシナダ様のメッセージ 《大神さまに想いを馳せる》 にも、

大神さまは すべてをお造りになられたのですから  そのすべてに大神さまの御心が込めてあるわけです

とございます。そして、生きる上での様々な物事に対する私たちの心の在り方につきまして、

 私どもは 自分の事 自分の物の様にして使わせていただいております、 その都度 つど これも それも 神さまから与えられしもの と、 想いを馳せることは 中々ござらぬのではないでしょうか

とのお言葉をかけて下さいました。確かに私たちは、衣食住を始め、仕事のもの、趣味を楽しむもの、教養を深めるためのもの、芸術などのあらゆるものに、「数えあげられぬ程 実は創造主のおもいがこめられて」いるとは、日常的に意識したり、想いを馳せたりはしないのではないでしょうか。あって当たり前になってしまっているように思います。

今、改めて、目に見える地球の物質世界が存在する為には、最初に創造主の深遠なおもいがあり、目に見えない世界からの想像もつかない程の働きかけがあるということに想いを馳せ、ひとつひとつの物事と丁寧に向き合わせていただきたいと思っております。その様に心掛けてみますと、より深い感謝の気持ちが自然と湧いてくるようにも感じております。

万物を大切に想い、感謝の心を培わせていただくことについて考えておりますと、中世イタリアの聖人フランチェスコであり、マスター・クートフーミでもある方よりの、次のメッセージがよみがえって参りました。

美しきテラ・・・万物への祈りと賛美~より

地上で暮らす人々よ  その大きな深い瞳で 何を見つめるや

 緑豊かな大自然 神の創りし花鳥風月  それらは 皆 人類のため  

神が与え給うた万物を 我らは生かしきっているであろうか、  大調和の神の意図を 読み取れているであろうか、 すべてに宿る神の御心に おもいを馳せているであろうか  

胸に手をあてて じっくりと脈打つ心音に  神の御心を感じているであろうか  

野山を駆け巡る動物たち 小鳥のさえずり 風の音  森林を巡る 妖精の吐息  太陽に光る川面 跳ねる魚  遥かなる山々  

皆 我らの心を 天国へいざなう神の贈り物

今、新生地球への移行に向けて “ 最後の総仕上げに入る ” 時に至り、すべての方々が気づける機会をお与えいただいていることと存じますが、小松様のおっしゃるように、大きな手がかりとなるメッセージや宇宙同胞による「ウェイクアップコール」がますます広くゆき渡ることを願ってやみません。

アセンションへの道」から連想される音楽もご紹介くださりありがとうございます。

暗い夜空を迷わずに 二人の星よ 照らしておくれ、 近い 近い 夜明けは近い、 銀色のはるかな道

との歌詞からは、創造主のおもいを受けて、“星―宇宙同胞” が “暗い夜空―混沌とした世の中” にあっても、光を照らしてくださり、「アセンションへの道、天国への帰還」を支援してくださっている。遠いように感じられても、“夜明けは近い” 希望を持って進んでゆこう…

という風なメッセージが感じられました。半音階ずつ上がってゆくところが素敵ですね。

The Rose」というベット・ミドラーの名曲がありますが、“愛といのち” について心に響くものを感じさせていただいております。

バラ」の花言葉は「」と「

花の色によってもさまざま象徴的な意味があるようで、何か夢の世界とも似ているように思えます。

(〔PC版はこちら〕)

そしてあなたの準備が整えば光が射してくるでしょう―サナンダ

このタイトルの意味は、メッセージの本文にある、次の言葉を受けています。最終的な到達点は同じでも、人それぞれの歩みが尊重されるわけです。

――精神的な成長または進化が、人類の目覚めへの道筋です。それは「天の父」によって、皆さんが「彼からの分離という非現実」を選択した瞬間に決められたものです。

――あなたは永遠に神と一体だから、あなたが目覚めて永遠の歓喜を生きることは不可避の定めです、あなたの慈愛あふれる「父」がそのようにあなたを創られたからです。

――愛は、あなたが何を選んでもそれを尊重し、あなたが心から目覚めを選ぶ瞬間が来るまで、はかり知れない忍耐を持って待つのです。そして、その瞬間の到来とそれを正しく評価することは、遅かれ早かれ誰もが選び取ります。


サナンダのメッセージ

精神的な成長または進化が、人類の目覚めへの道筋です。それは「天の父」によって、皆さんが「彼からの分離という非現実」を選択した瞬間に決められたものです。そもそも「分離という状態」は実際には存在せず、それを皆さんが選択したとき一瞬だけ心に浮かんだ、常軌を逸した想像上のアイデアつまり虚構に過ぎません。ところが、皆さんが分離というアイデアを感じて生きることを可能にしようとして、虜(とりこ)になっていしまった深い眠りから何とか目覚めようとしているこの時点では、その虚構が極度に現実的に見えるのではないでしょうか。

あなたは永遠に神と一体だから、あなたが目覚めて永遠の歓喜を生きることは不可避の定めです、あなたの慈愛あふれる「父」がそのようにあなたを創られたからです。しかし、前にもお話ししたように、愛は決して無理強いをせず、ただ受容れ認めるだけです。愛は、あなたが何を選んでもそれを尊重し、あなたが心から目覚めを選ぶ瞬間が来るまで、はかり知れない忍耐を持って待つのです。そして、その瞬間の到来とそれを正しく評価することは、遅かれ早かれ誰もが選び取ります。何故なら、現に進行している分離の体験は、たとえ「非現実」であるとしても忍耐の限界を超えているからです。

誰もが内心の深い部分では、人間としての人生は一時的で非現実的な体験だという認識があり、それが心の平穏を乱し、注意を引き、探求を求めさせます。人生のどこかの段階で、人生の意味について深く思案したことのない人は一人もいないでしょう。そこから、人生には、人間としての単なるサバイバルよりも、遥かに深い意味があるはずだという強烈な実感へつながります。そしてもちろん、それはあります。

よく見られる状況は、人が自分自身の人間的知性を遥かに超えた精神的知性が存在するに違いない、という内心の認識を直感的に捉え、それに心を許そうとすると、エゴが登場して本人にささやくのです。――それを認めるのは結構だが、それをもっと深く考える時間が持てる時まで、脇に置いておくのがいいと。人間体験が非常にリアルに見えるので、これには説得力があります。すると人生の当面の課題や気晴らし事が、主要な関心事として「正当な」位置を、再び引き受けるのです。そして、スピリチュアルな遺産または身元を探求する可能性は、直感のひらめきが起こる次の機会まで、遅らせられるか忘れられてしまいます。

次の機会が消えて無くなることはありません。あなたが目覚めることは、本当に神の意思であり、集合としての人類の意思だからです。あなたが実際に目覚めるまで、私たち精神界の者たち全員から定期的に「軽い肘突き」を受けるでしょう。「そうする時ですよ」と。あなたは彼らの存在を自覚するようになり、しかるべく対応するでしょう。・・・あなたが、準備ができていると感じる時に。用意ができているという感覚は、各個人の目覚めの過程での本質的側面です。というのは、愛の本来の性質として、あなたには自由意思があり、決して目覚めを強要されることはないからです。それでもあなたは、継続的に一連の「軽い肘突き」を受けるか、それらの直感的に理解できる「軽い肘突き」に、あなたが気づくのをサポートするように特別に考案された出来事または学びを体験するでしょう。それらは、あなたの目覚めへの道案内なのです。

そしてあなたの準備が整えば光が射してくるでしょう。つまり、惑星地球で人間として生きることについて意味を持つ唯一の理由は、「永遠のスピリチュアルな故郷」である「現実」へ帰還する道を見つけることだと、あなたは遂に気づくでしょう。そこでは、あなたは永遠に「根源の意識」つまり「至高で無限の叡智」――人類の用語で「母なる、父なる神」と最高の幸福感をもって呼ばれる存在――と一体なのです。

しかし、これは覚えておいてください。言葉というものは非常に限定された不適切なコミュニケーションの概念で、しばしば皆さんを互いに敵対する戦闘集団に分裂させ、それが衝突や痛みや苦難をもたらす可能性があり、また実際にそれが起こっていることです。

他の人たちに耳を傾ける時は、いきなり彼らが言おうとしていることは「もう知っている」と速断しないで、努めて「聴く」ようにするのを忘れないことです。言われたことを「聴く」のを怠ったばかりに、または聴いたとしても言われた言葉の意味を完全に取り違えたために、とんでもない誤解が生じることは少なくありません。同じ言葉が、皆さん一人ひとりにとって違う意味を持つ可能性があり、実際にそうなることは珍しくありません。それが起こる理由の一部は、皆さんが非常に限られた語彙によって表現しようとすることに付随して、様々に異なる思いを持つこと。また他には、言葉に常に伴う身振りに色々の違いがあるためです。

相手が誰であっても人の話を聴くときは、あなたの心によって聴くようにすることです、知力によってではなく。そのわけは前者が、相手が伝えたいと思うことに完全に合致する強力なエネルギー場を生み出すのに対して、知力は、聴いた言葉を論理的に理屈づけられる概念に解読または解釈しようとするので、実際に伝えようとされた心からの意味が理解され把握されることが決してないからです。

そしてもちろん私は、皆さんが日々に内心に分け入り、魂の奥底で燃え続けている「神の愛の光」に会いに行くようにされることを強調します。そうすれば、どんな形の他者との交流であっても、いつも愛を根底に持って交わるようにすることを思い起こすでしょう。

皆さんの一人ひとりが「根源」と一体なので、実際のところ、あらゆる他者との交流は、あなた自身の別の側面との交流に過ぎないのです。したがって、他者を愛することは自分自身を敬愛するのと同じで、自分自身を愛することは他者を敬愛することになります。自己や他者を批判したり非難したりする間違いを犯したことに気づいたら、ただちに赦しを請うようにすることです。というのは本当のところ、すべての過ちは「幻想」の別の側面で、完全に「非現実」だからです。そして赦しを請うことは、「幻想」が、あなたに押し付けようとしている罪悪感からの解放に過ぎません。その押し付けは、「永遠の価値を持つ神聖な存在」としての、あなたの本質を忘れさせる、または気づかないままにしておくという、あなたを侮辱する正当性を欠いた試みなのです。

親愛なる皆さんの

サナンダ(ジーザス・クライスト)


(〔PC版はこちら〕)

わたしの子らよ―創造主

(Q) 小松様 こんにちは。

新たに創造主よりのお言葉をお伝えさせていただきましたので、重ねてご連絡いたします。

わたしからの贈り物

どうぞよろしくお願いいたします。

(A) 拝見しました。ありがとうございます。

これは、創造主が地球人類に宛てられた衷心からのメッセージですね。惑星地球の本来の姿は、創造主の意思を受けて「宇宙の実験場」として創られた「宇宙でも希有の美しい星」だと、私たちは教えられています。

――その穏やかさと美しさは、ここを完璧な場所にすることをもくろんだ多くの存在たちによってもたらされました。それは、宇宙空間で、この銀河で、回転している宝石、あなた方の創造主と、これらすべてを気にかけている多くの存在の意思により、創造の法則に従って回転している宝石なのです。 ガイアからのメッセージ①

――これらの存在は、創造者としての神ではなく、宇宙全体からやって来た存在たちです。地球の創造は一つのプロジェクトだったので、そのために宇宙のすべての存在が、最高に美しい場所を創り出したいと願って集まりました。そして、その時にたくさんのアイデアが出されたのです。彼らの惑星でうまくいった物事のアイデアと、創造という方法を通してすべての場所の最善のものをどうやって地球にもたらすかというアイデアでした。ガイアからのメッセージ

 しかし、志願してこの地に定住しようとしてきた人々の中で、外部からの影響も受けて、ある時期から「創造の意図」とは違う方向に惑星地球を動かそうとする勢力が力を持つようになり、惑星地球は不調和と波動的低落を重ねながら現在に至っています。

――他者の命を奪うことを当然と考えている人が大勢います。彼らはこの地球で生まれ、育ち、地球というのはいつまでも変わらないものだと考えています。けれどもそれは真実ではありません。川は汚染され、ある日姿を見せた動物が、翌日にはいなくなる、といったことが起こりえます。長い年月を費やして進化してきた地球の生命たちが、一世代で全滅することすらあるのです。嵐は思いのままに荒れ狂うように見えます。激しい嵐や地震があり、そして火山の爆発では、噴出するガスが動物や人間に害を与えます。そうした猛威の一方で、地球には宇宙でも比類のない穏やかさと美しさが存在します。一つの場所に、どうしてこれほど正反対のものが存在できるのだろう、と皆さんは思うかもしれません。

 ――そしてそうした不調和なイメージと不協和な音は、ここ地球に存在するアンバランスのために速度を増しています。その不調和は、言ってみれば人間の考えのなさから生じているのです。ご存知のように、いつもそんなふうだったわけではありません。人類は、かつては自分たちが住む場所を大事に世話する義務があると感じていました。それは自然な感覚だったのです。あなた方は、いつも自分たちの母親の世話をしていました。地球は、ある意味で、あなた方の母親です。あなた方はここ地球に住み、言ってみれば彼女の胎内で生まれました。彼女はあなた方を育(はぐく)んできましたし、今もそうしています。ガイアからのメッセージ①

創造主からすれば、惑星地球だけでなく宇宙を挙げて「新時代」へ移行させるタイミングが目前に迫っている現時点で、特に惑星地球の住民を、まずは人々の認識と意思を、何とかして「あるべき姿」に戻したいという強い思いを持っておられるのでしょう。今回のメッセージからは、その思いが凝縮されている印象を受けます。

1.〔わたしの子らよ〕について

まず、このタイトルですが、これは「真の父(創造主)」から「我が子たち」つまり私たちへの、呼びかけだということを明確に表明されています。そして文末で、「そなた達は わたしの子 それこそは まぎれもない 真実」と、念を押されています。

地球での親子関係も重要な人間関係に違いはありませんが、それも、「(魂のレベルの)真の親子関係」についての正しい認識を持つことができて初めて、意義深い関係づけができるものでしょう。

そして冒頭の言葉「大きな分岐点に立っておるこの時」という時代認識を、生き方の根底に持つことができているかどうかによって、前途では、それこそ天と地ほどの違いにつながると考えられます。

そして「みなの者は 巷の喧騒にやきもきしているのではあるまいか」と言われるのは、ますます不調和が拡大して平穏が保たれない方向へ、この世界が急速に動いているように(少なくとも表面的には)見えることを指しておられます。

それは わたしが光の中で照らし出した結果である」と言われる意味は、この世界に潜在している「ヤミ」を「光の中で照らし出し」、誰の目にも触れるように浮上させることが「浄化のプロセス」として必要だから、「わたしが」起こしているということでしょう。

したがって、「そこに引き込まれるのではなく わたしに返すのだ」と言われますが、「わたしに返す」とは、具体的には、どうすればいいでしょうか。

それは、良くも悪くも(ポジティブでもネガティブでも)見聞きしたり、体験したりして「頭を離れない(心が「空」になれない)」ものを、特にネガティブなものを、逐一創造主に報告して、その采配に委ねること、そのようにして念頭から消すことを指しておられるでしょう(次のメッセージ〔信じる〕の冒頭でも、それに言及されています)。

その際に、以前のメッセージで創造主(神)が、「わたしは 常に そなた達と共におる そなたの内におる いつ いかなる時も 忘れるでないぞ」と言われていることを、念頭に置くようにしましょう。

次に、「地上に生を享けし そなた達は おのれの使命を全うすることが わたしと交わした約束」と言われる「おのれの使命」については、「魂に刻まれし わたしの刻印」だから、「さればこそ わたしに想いを馳せたれば 心に思い浮かぶ 感じる 何かに気付くであろう」と言われています。

人の使命について、例えば、以前のメッセージで次のように言われていますね。

――”地上において天国を造る” ”人をたすける” そして ”全人類 その父母先祖をはじめ 万物と共に私のもとに立ち返ってくる” という使命である

ここにある「私のもとに立ち返ってくる」が、最も肝心のことと考えられます。――それを志向しないことには、何も始まらない。

――そしてあなたの準備が整えば光が射してくるでしょう。

つまり、惑星地球で人間として生きることについて意味を持つ唯一の理由は、「永遠のスピリチュアルな故郷」である「現実」へ帰還する道を見つけることだと、あなたは遂に気づくでしょう。

そこでは、あなたは永遠に「根源の意識」つまり「至高で無限の叡智」――人類の用語で「母なる、父なる神」と最高の幸福感をもって呼ばれる存在――と一体なのです。(そしてあなたの準備が整えば光が射してくるでしょう―サナンダ

2.〔信じる〕について

このメッセージの冒頭で、前のメッセージで言われた「わたしに返す」ことに言及されています。

いつ いかなる時 いつ いかなる事が 起ころうと」、「それを わたしに返し続け」ること。

そうすれば「わたし(創造主)」は、「全てのものを 受け取り わたしのものとして認め」、その上で「あらたなる旅立ちの要素としての ひらめきを与えよう 気付きを与えよう」と言われています。

――まさに、ここまで言われて、それを見逃す手はないという感じですね。

しかし、その言葉を信じることが大前提になる。そこで「信じる」というタイトルが重みを持ちます。

そして、「(神を、創造主を)信じる」という極めて簡単にみえることを、私たちの社会で難しくしている事情に言及されています。

疑念を抱くことの多き世にあって 迷いを生じ おのれに固執し 学問の虜(とりこ)になってはおるまいか」と。

ここでいわれる「学問」は、いわゆる「先進社会」の多くの方が競って求める「情報一般」に敷衍して考えられます。

残念ながら人類の現社会では、「学問」も「情報」も様々な意図によって色づけされているので、それらを多く取り込み、それに浸る時間が長ければ長いほど、間違いなく迷路にはまっていきます。

そこで、「一度 それらを捨てて 白紙に戻すことが出来れば その真偽の程がみえてくるであろう」と示唆されています。

――大切なことは、いま現在とそのエネルギーがやってくる瞬間との狭間(はざま)にあるこの時点での、各個人の選択なのです。それは限りなく個人的な選択であって、どの国の者だとか、どのコミュニティに参加しているとか、どんな組織に属しているかとか、またどんな宗教、どんな規律を学んできたかとか、どんな知識を持っているとか、そういったことは一切関係ないのです。それらすべては無に等しいものです。 創造主アセンションと2012年を語る

その一方で、「わたしの 新しく送り出す永遠の叡智」や「今後 起こるであろう わたしからの贈り物」を見逃さないように、と薦められています。

前者は、高次元宇宙社会では当然のこととして理解されている「宇宙の真理」で、すでに送られているものに加えて今後ますます送られてくるもののことでしょう。

後者は、この先で私たちが逢着する「出来事」のことで、それには「贈り物」という言葉にふさわしいものだけでなく、以前のメッセージで言われた「これが神のなさることか」と思われることも含まれるでしょう。

いずれにしても、それらが私たちにどう関わって来るかは、個人として何を選択し、どの方向を志向するかによって決まると言われています。

良くも悪しくも おのれにかかっているのである」と。

(〔PC版はこちら〕)