「奇蹟に対して心を開くことは、私に対してそうすること」と神は言われる(下)

〔本稿の()より続く〕

――どうか、これを知ってください:
真の献身には澄んだ意識を持つことが不可欠で、それは神の恩寵の何たるかを理解していることです。
無条件であることの意味は、完全に目覚めて神に献身することで、盲目的に神に従うこととは別です。

――真の献身には、あらゆるレベルで完全に自覚していることが不可欠で、完全な自覚の下(もと)で決断することが必要です。
ますます多くの人類が、その特質を備えるようになっており、この世界に高い光のエネルギーを放出しています。――アセンションは、あらゆるレベルで本当に起こります。

――私と一緒に来るがよい!

といっても、それは何を意味するでしょうか?
私と一緒に来る意味は、すべての想い、すべての言葉、すべての行動、そして意図することのすべてを神に、つまり私に、調和させることです。

人生に神を持ち込む意味は、あらゆる瞬間に私が存在することによって新たな洞察が助長され、有害な影響力が手放されることです。

――個々の人類にとって、この時期に最も困難なことは(思考、時間そしてエネルギーを)適切に配分しながら、圧倒されるような出来事の中でも、神の保護の下(もと)に留まり続けることです。

あなたのそばに神を持ち、あなたの人生に神を持てば、あらゆることが可能になります。人がとても不可能と考えることでさえも。
私の保護は絶対的なので、あなた自身を完全に私に委ねることです。

神への献身」と表裏一体の関係にあるのは「神の恩寵(おんちょう)」でしょう。
そして上で言われている「圧倒されるような出来事」とは、この先で人類が避けることのできない「惑星地球の完全な浄化プロセス」でしょう。

以下は一連のメッセージの結びの部分ですが、これを読めば、これまでにも伝えられている「惑星地球への神の臨在」つまり、この局面で「創造主)」が直々(じきじき)に地球で働かれている主旨が見えてくるように思われます。
奇蹟」への言及は、その中にあります。

――いま私は人類の中で働いています。
私がやって来たのは、認識への扉を押し広げ、皆さんを害から救うためです。
根本的なポイントはこれです。――あなたが私の保護の下で生きれば、害はあなたに近づくことができず、あなたにとって死は、中身のない影(かげ)であり続けます。
したがって私がお勧めするのは、さらに深くあなた自身の神秘の中に身を浸すことです。あなたの真実の断片を明るみに出すだけではなく。
つまり、お勧めするのは、あなたを構成している素晴らしい現実の全体像を見るようにすることです。

そのために必要なことは、あなたの人生のガイダンスを、私に委ねることだけです。
そうすればすぐにも、あなたは私に融合して、導かれる者と導く者とが離れることはなく、同じ道を同じ目標に向けて歩み、あなたは目標に到着できるでしょう。

私はあなたのために、自分を識別できるようにし、必要な運命の変転を提供し、地上天国を整えます。
このメッセージは、あなたを完全に私に近づけることを唯一の目的とするものです。
あなたのために私は、来る日も来る日も奇蹟を用意しているので、あなたはそれに参画するようにしてください。

奇蹟に対して自分の心を開くことは、私に対してそうすること、
私に対して心を開くことは、奇蹟に対してそうすることです。

惑星地球の現局面は、神が「人類の中で働いて」下さるほどの段階にあるのでしょう。
実際に、「惑星地球の完全浄化」と「地上天国の建設」とを同時進行させ、個々の魂の選択に応じた新世界・別世界への「変転」を寸分の間違いもないように遂行しなければならない。
まさに「神の陣頭指揮」を不可欠とするほどの、宇宙でも空前の巨大イベントなのでしょう。

間違いなく、すべての人類にとって最も必要な「奇蹟」は、これまでの惑星地球が「更地」になり「5次元の新しい地球」へ「変転」するプロセスにおいてでしょう。
これは、どう考えても個人の力では不可能で、「神の恩寵」に縋る(すがる)しかないでしょう。
上記メッセージの他にも「神」ご自身が、そうしなさいと慫慂(しょうよう)されており〔〕、多くの高次元マスターたちも同様のメッセージを送って下さっています。例えば次です。

――あなたが自宅に居ても、どこか別の場所に居ても、「神の臨在」の中にいます。あなたが居ることのできる場所は、それ以外には絶対にないからです。
したがって、目覚めるという意思を可能なかぎり強く保ち、精神領域にいる兄弟姉妹たちに助力を頼むことです。
彼らは、あなたを常に見守り励ましており、あなたが覚醒に至るよう軽くつついて注意を引いたりしています。だから必ず応えてくれるのです。
いつも彼らはそこに居て、あなたが助力を頼んでくるのを我慢強く待っています。それが彼らの望みだからです。〔

――献身を抜きにした生き方は不可能です。
何故なら、創造の中のあらゆる世界の「いのち」は献身によって創られ、個別の「いのち」に対する創造主の献身によって受けた、形態と表現を身につけているからです!
つまり献身は、すべての「いのち」の根本的な原理です。

――今日まで皆さんは、様々に異なるセミナーや講座やワークショップなどを体験して、多くのものを身につけられたことでしょう。
それでも皆さんの中には「残りかす」があります。――手放したくなかったものや、どんなに努力しても今日まで解放しきれなかったものが。
根本的な原理はあなたに明かされていないのか、基本的な洞察が欠けているのか、完成はまだやって来ていないのか?
そうだとすれば、何故でしょうか?

親愛なる皆さん、私が申し上げたいことはこれです。
何故なら、あなたの神への献身が、いまだに保留されているか、または完全ではないからです。
これに関して言えば、あなたの神への渇望は、もっと自由に表現される必要があります。
そうすれば神を深く信頼して、この最後のステップを受諾する気持ちが生まれるでしょう。――「その日」が到来する前に。〔

――いったんあなたが神と直接つながり、神との無条件のワンネスを実現すれば、すべてが与えられます。神への完全な献身の下では、無くて不自由するものは何もないのです。
不足感が起こるのは、神の摂理が不適切に捉えられているからです。

そこでいま、この事実に注目して、それに集中的に注意を向けましょう。
そこは、あなたにとって未知の場所ですが、あなたが大昔から目的にしてきて、あなたの渇望が満たされる場所です。〔同上〕

ちなみに「奇蹟的な体験」は、かなり前から多くの方にとって日常茶飯事のようになっているのではないでしょうか。
私のささやかな体験の中でも、個人としてまたはグループとしての「奇蹟的な出来事」は多数あります。
その中で簡単に視覚できる映像として、例えば次があります。
ウルルのサンセットSunsetOfUluru
イルカたちDolphins
風と砂の芸術WorksOfWindAndSand
これらは当日が荒天では(場合によってはその前の天候状態によっても)「ぶち壊し」になる「一発勝負」の賭けのようなものですが、いずれも交通手段やホテルの予約の関係で、(旅行の主目的に付随して)少なくとも1か月前に決まった旅行日程の一環でした。
それが失敗することは全く念頭になく、成功を願いもせず祈りもせず、単純に予定の中に組み入れただけです。
これらが神の采配なのか、地球さん(ガイア)の配慮なのか、宇宙同胞たちの働きか、それとも「たまたま」そうなっただけなのかは不明です。「宇宙に偶然はない」とも言われますが。

以上は「奇蹟」という意味では序の口で、皆さんは遥かに目が醒めるような体験をされていると思います。
上のメッセージのなかでも、このように神は言われているからです。

――皆さんは覚醒への過程で、日々に自らの基本波動を上昇させており、それが皆さんの内部で起こっています。
皆さんの光は日々に明るさが増し、精神的負担が小さくなっています。
皆さんは日ごとに神に、つまり私に近づいており、すでに多くの方が私に、誠実に、無条件に、そして完全な献身と共に、ついて来ています。〔

【目覚めの手帳(第1話)】タスマニアの羊

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――もし、GNP(国民総生産)をどこまでも増やすこと、すなわち経済の規模を成長させ続けることしか、資本主義経済のもとで各国の国民が幸福を得る手段がないとすれば、人類の未来は暗澹(あんたん)たるものになる。

最もうまく事が運んだ場合、1800年から1935年にかけて記録されたオーストラリア領タスマニア島の羊のように、島の容量の限界まで個体数が増えた後は、増減なくほぼ一定の固体数が維持されるようになる。人類にとって、タスマニア島は地球であり、羊の個体数は経済の規模、すなわち「人口×1人当りGNP」である。

しかし、このような経過は、地球人類の性向から判断すると、現実には起こりそうもない。現在の傾向が変わらなければ、その経過は、人間の経済活動によって、地球の環境容量が、その限界を越えた後も風船のようにギリギリまで膨らみ続け、ある日突然のカタストロフィ(大破局)を迎えるという形になるであろう。

人間は羊と違って、経済活動を通じて消費と排出を行い、適切な制御手段を持たないまま、その規模をどこまでも拡大しようとする。これは、地球の「寛容の限度」を試す企て、すなわち「地球への挑戦」である。

現実に、地球と地球人類は既に限界点を越えてしまった、という認識では科学者たちの 報告は一致している。すなわち、地球温暖化をもたらす「温室効果ガス」の主体である二酸化炭素の排出量は、森林や海洋など自然が吸収・処理できる限度を、すでに30年以上前に突破している。その結果、「大気中の濃度」が果てしなく増え続けて、地球の気候システムへの危険な影響の兆候が観測されつつある。

これから導かれる結論はきわめて明白である。すなわち、温室効果ガスの排出量を現在のレベルより大幅に削減し続けない限り、地球を安定化させることはできない。その削減の幅は、二酸化炭素では、最も少ない見積もりでも、50%以上である。

ところが、1992年の「地球サミツト(環境と開発に関する国連会議)」で実際に合意されたのは、2000年以降において温室効果ガスの排出量を1990年のレベルに「安定化」させることである。この排出量は、その時点までに把握された最大値であり、それを維持すれば足りるのなら、そもそもこの問題は起こらなかった

これは歴史に残る「虚構」であるが、よく言われるように、大勢の人を長期間、欺き続けることはできない。いわんや、地球の現実は、それとは無関係に進行する。各国政府は、 設定すべき目標を取り違えている。

いわゆる「バブル経済」崩壊後の日本の消費の状況は、この問題に一条の光を投げかけている。

鋭敏な経営者のなかには、これまでのように景気循環でそれを説明することの限界を感じ、何かが本質的に変わり始めていることに気づいている人が少なくない。

もし「経済システム」と「エコシステム(地球環境)」がそれぞれ独立した、互いに無関係な体系だとすれば、消費者がいま節約を心掛けるのは間違っている。GNPの約6割を占める個人消費が伸びなければ、経済は成長することができない。企業活動が縮んで、昇給もままにならない。雇用にも影響する。税収が落ちて、行政サービスが低下し、財政の実質赤字が拡大する。輸入が増えず、国際収支の黒字がますます膨らむ。

この「悪循環」から離脱するために、政府は、ひとつのことだけをやればよい。それは、 政府公報によって、「賢明でない」消費者の誤りを指摘する大々的なキャンペーンを張ることである。そして、清貧に走ってはいけない、ライフスタイルを元に戻さなければならない、と告げることである。

現実には、消費者としての個人の行動に、混乱があるとは思えない。前記の二つのシステムが不可分であり、表裏一体であることは、むずかしい説明はなくとも、毎日の生活のなかで実感しないわけにはいかない。人間の経済活動の規模と内容とが、今やそこまで拡大したのである。消費者は、この現実についての、それぞれの理解と判断にもとづいて行動しているだけである。

混乱があるのは、むしろ行政の方である。それは、日本だけではない。一方で、景気対策のため個人消費を活性化しなければならないと言い、他方で地球環境を守るためにライフスタイルを省エネ・省資源型に変えなければならないと言う。一人の人間がこれを矛盾なく受け入れ、具体的な行動に現わすことができるであろうか。

現実の世界では、すべてのものが連関し、ひとつの巨大な体系となっている。その一部だけを切り出して、うまく治めていくことは不可能に近い。人間が便宜的に区分けした学間体系や政治・経済・社会機構が、抜き難い「分離思考」を醸成してしまったが、それは現実世界のメカニズムまで変えるものではない。確かなことは、もはや「分離思考」ではやっていけない時代が到来したということである。

少し頭を冷やして世の中をみれば、そのような「連関」に気づいて「意識の変革」を遂げた人びとが、じわじわと増えつつあることが分かる。このような人びとが、社会の「変化する部分」の担い手であり、その最も影響力のある行為が、消費についての意思決定である。この動きは、ひとつの方向に進み続け、決して元へ戻ることはないであろう。これが、日本の「バブル経済」にかかったブレーキの原動力である。

これからは、個人が消費を通じて行う自己表現を、行政や企業の思惑で変えることは、ますます困難になるであろう。むしろ経済の規模と内容は、消費者としての個人の、自発的な意思の集積として規定されるようになるであろう。

これは、近代資本主義経済の歴史のなかで、革命的ともいえる変化である。消費水準が経済の外で決まり、これまでの、金融や財政主体の経済政策でコントロールすることができない「未到の世界」への突入、すなわち「シフト」である。それは、人びとの意識のレベルでの「シフト」すなわち「意識革命」の、直接的な反映でもある。

この傾向の延長から「新しい時代」に入っていくには、「分離思考の壁」を越えなければならない。現在の政治・経済・社会の混迷、矛盾、苦境の根源には「分離思考」がある。

混乱の「創出」の責任は、経済学者にもある。経済政策への提言などで、「地球の事情」を無視した主張が平然と行われている。それを忘れていない「フリ」をして、ついでに「言及」することはあっても、具体的な提案の中に生かされているわけではない。この間題は、これまでの経済理論が答を出せないテーマであり、経済のダイナミズムを拘束する要素であるから、避けて通るにこしたことはない、ということになる。

一方、科学者や環境問題に真剣に取り組んでいる人には、経済は厄介な代物に映る。とりあえず棚上げにして、専門分野の枠の中での主張にとどまる。

現実の世界は、「すべてはひとつ(ワンネス)」である。経済をその固有の世界で動かそうとしても、もはや意図するようには動かない。「分離思考」に別れを告げ、すべてを俎上(そじょう)に載せて、全く新しい視占から眺めてみなければ、正しい答は出てこない。

新しい視点は「連関の視点」である。「地球からの視点」ということもできる。そこに立てば、あらゆる「時代の課題」についての一貫した答を得ることができる。とりわけ「地球との共生」を図りながら、それぞれの地域に根差した豊かで快適な生活を実現し、雇用を維持し、国際貢献を果たしていく道が示される。それが、取りも直さず「新時代への処方筆」となる。

(〔01〕=『タスマニアの羊(1993年11月)春秋社』序章)

「奇蹟に対して心を開くことは、私に対してそうすること」と神は言われる(上)

今年の初めに創造主(神)より降ろされたメッセージに含まれる、表題の言葉とメッセージの内容に改めて強い印象を受けています。

このメッセージは次のように始まっており、「奇蹟」に関してはメッセージの結びで言及されています。

――親愛なる皆さん、

皆さんは、私から分かれて外に出て、永い旅を始めました。 そして自ら持つ神の意識を忘れてしまい、それから遠く離れた独自の体験をするようになりました。〔:以下同〕

ここでの「自ら持つ神の意識」とは、「神の分身」として創られ神に準じる能力を与えられていたこと、そして「独自の体験」とは、「惑星地球の3次元世界」での体験に身を投じている中で、本来の自分を忘れてしまい現在に至ったことを指しています。

――その意義は、それまでは不可能だった体験に身を曝(さら)すことによって、新たな世界が創られ、新たな「創造」が行われるようにしたことです。

無限であることが宇宙の特質で、皆さんは、有限の体験を通じて宇宙を豊かにします。 そして、このマトリックス(つまりこの世界)は、そのために造られた構造です。

絶えず変化し新奇な創造が行われることが宇宙の存在意義で、それが神の意図でもあるので、そのために創られた「惑星地球という宇宙の実験場」へ、私たち(の魂)は自ら志願してやって来たのです。 「宇宙を豊かに」することへの貢献のために、そして自己の「魂の学び」のために。

――今では皆さんの多くの方々にとって、これらの体験を実践することが充分に行われ、使い尽されました。 皆さんの記憶が回復することによって、人生が劇的に変わる時がやって来たのです。

しかし、今や「充分に行われ、使い尽されました」というのは、当初「このマトリックス」に埋め込まれた「実験素材」は充分に体験され、「実験は事実上終了した」と判定されています。 私たちが持つ善悪の判断基準を地球の現状に照らせば、とても「実験」が有意義に「終了した」ようには思えませんが、「創造主)」の視点は違うのでしょう。 それどころか、私たち地球人類が(本気になって)行ってきたことは、このメッセージの後段でも触れられているように「幻想世界でのゲーム」だったので、そのための「実験場(いま見る惑星地球の3次元世界)」そのものも、「更地」にされる時が近いようです。 したがって、元々「神の分身として創られた」という私たちの「記憶を回復」し、「人生が劇的に変わる時」に備える必要があると言われています。

―― 一部の方々にとって、それは一瞬の悟りですが、他の方々にとっては、各人の洞察力に応じて段階的に、このマトリックスから持ち上げられる具合になります。

ここでは、上のような認識には「個人差」があるのが実情なので、それに応じた適切な「移行措置」が採られることを明言されています。

――必要とされたことは「このゲーム」の本質を見抜くことで、あなたはその明察を得ます。 忘却を生きる境遇を脱して、思い出すべきです!

ここに「このゲーム」が出てきます。 そして「忘却を生きる境遇」からの脱出、つまり「惑星地球という宇宙の実験場」へ身を投じたことを契機に、自分の本質や地球へやって来た本旨を忘れてしまった状態からの脱出については、次のパラグラフで説明されています。

――どうか、これを知ってください: この世界でいま起こっていることのすべてが、あなたが思い出すのに役立ちます。 それは、本当の自分は何者で、実際には何をするために地球へやって来たのかということで、そこに各自の独自性があります。 この大変動が根本的なものであればあるほど、自分の人生の意味を探ろうとする願望は強くなります。

この疑問に対する答の手掛かりを拾い上げた人は誰でも、本当の人生への扉が開き始め、光への道に入ることができるでしょう。

この世界でいま起こっていることのすべて」とは、お気づきと思いますが、「現状の延長上には地球と人類の活路は開けていない」と思われる状況のことです。 それは、自然現象や政治・経済・社会など、あらゆる領域に及びます。 また「この大変動が根本的なもの」とは、「地上に根差す人類社会の運営」についての旧来の論理や方式やテクノロジーを総動員しても対処できない窮状を後にして、「新時代へ移行」が進んでいる全地球的な状況のことでしょう。

――あなた自身の完成によって、この地球での奉仕活動は完結します。それが、このところ起こっていることです。 自然の成り行きで「回復」が行われ、ほんの数か月前には未だ手の届かなかった意識の飛躍が起こって、人類の神性が明瞭に現れてきます。 「新たな人類」の広がりが「母なる地球」に恩恵をもたらし、人類は彼女の重荷ではなくなります。

「この地球での奉仕活動は完結します」は、前に出てきた「充分に行われ、使い尽されました」に対応しています。 「人類は彼女の重荷ではなくなります」――つまり人類がやってきたことは、在り来たりの手段では回復できないほどの「地球の重荷」になっているということです。

――これまで「舞台装置の背後」に隠されてきたものが、今や皆さんに明かされます。 良くも悪くも、それは明かされる必要があり、それによって各人が目覚めるか、または幻想の世界に留まり続けるかすることが出来るのです。

ここに「幻想の世界」が出てきます。つまり「造られた構造」である現在の「惑星地球」または「それと類似の世界」のことです。 「舞台装置」とは前出の「このマトリックス」のことで、そこでは「光とヤミの戦い」が中心軸になったことすら「造られた構造」で、人類の目覚めの為には「良くも悪くも、それは明かされる必要」があると言われています。 しかし「幻想の世界に留まり続ける」という選択もあるようです。現在の地球と似たような、別の「幻想の世界」つまり段階的に新世界へ移行させるための「臨時的ゲーム場」が用意されるのでしょうか。

――しかし、すでに目覚めている皆さんは、このレベルの人生体験を極めようとしています。つまり「創造」の中の次の高いレベルへ上昇するために、そこを離れようとしています。

「そこを離れようと」しているとは、「もう充分だ」という思い、つまり「汚濁(おじょく)と喧騒」にまみれた「このマトリックス」に、これ以上は付き合いたくないという意思のことでしょう。

これに続いて、「神への献身」が全てを左右することを次のように言われています。 その中では、「アセンション」という言葉も使われています。

〔本稿の()へ続く〕