京都・永観堂の秋色(Autumnal Colors of Eikando, 2016/11/21)

 

【注】ここに収録した画像群を「ギャラリー形式」でご覧いただくには、まず「左上の小画像(サムネイル)」をクリックすると拡大画像が現れます。そして、その画像の右半分へポインターを移動させると右端中央に次の画像へのリンク〔▶〕が現れ、順に最後まで(手動で)ご覧いただくことができます。また画像の左半分へポインターを移動させると、左端中央に前の画像へのリンク〔◀〕が現われ、順に先頭まで戻ることもできます。それとは別に、各アイコンを個別にクリックして拡大画像を表示させることもできます。

この世界で噴出しているあらゆる抗争や混迷にもかかわらず全ては順調です―サナンダ

今回のメッセージでサナンダは、「この惑星の全域で無秩序や混迷がますます増えている」という現実を認めつつも、そこには私たちが体験しようとして自ら選んだ「神からの分離」という大きな背景があることを指摘されています。それを前提として具体的には、現時点で私たちが個人として持つべきスタンスや心構えについてアドバイスされています。


サナンダのメッセージ

この惑星の全域で無秩序や混迷がますます増えているように見えますが、起こっていることは実際には、人類意識の多年にわたる思い込みや判断基準が、徹底的に表出されようとして浮上しているものです。それは人類が目覚めていくプロセスの一部に過ぎません。人類が永年にわたって縋り(すがり)付いてきた、ネガティブで独善的な発想や観念は、皆さんの目覚めのためには手放すべきものです。お気づきと思いますが、それらは時には非常に暴力的な関わりを持って演じ尽くされようとします。

皆さんのように光を掲げる方々の多くは、それを認識されるようになって、自己の内部に深く埋もれていた、またはその存在を否定してきた、愛のない思考や意図の全てを断固として手放そうと取組んでおられます。それらをいま自覚するようになって、ショックを受けることも少なくないでしょう。すべての人類が、愛のない思いや欲望を内心に埋め込み、その存在を否定してきましたが、それらは全て「幻想」の一側面で、皆さんが自ら体験しようとして選んだ「神からの分離」を示す状態です。

これまで皆さんが繰り返し指摘を受けてきた「分離の状態」は、純粋な幻想つまり非現実で、それが持つ本来の性質として、お互いを対立させます。一見したところ過酷な環境で、皆さんがサバイバルに苦闘する中で。しかし人類の目覚めを、愛を持って支援しようとして皆さんがやって来た「今生」では、他者を傷つける思いを持つことは、それを望むことでさえも、非常に落ち着かない状態になるでしょう。それは駄目だ、と判断するでしょう。ここで覚えておくべきことは、絶対に「判断をしない」ことです。特に、自分自身に対しては。そのように不調和な考えや願望が起こった時は、それを単に観察するにとどめて、「わあ! 自分は・・・に対して、これほども憎悪や、怒りや恨みを埋め込んでいたんだ」と、「判断しないで」単に手放すようにすることです。

そのような感覚や感情は、多くの場合あなた自身のものではなく、人類の集合意識から来ています。それらを人類が手放すのを手助けしようとして、あなたは現世に転生してきたわけで、あなたの愛のこもった意図の働きです。ところが、それがあなたのエゴに障る(さわる)と、反射的に誰か知っている人や知っていた人に結び付けようとします。あなたが埋め込んだり否定したりしてきたガラクタを手放すには、まずはガラクタの存在を認める必要があります。あなたの想いや願望が「悪い」のではなく、それらは、いわば注目されようと単に辺りを流れ漂っているだけです。それらに誰かが取組み演じ尽くすまでは、何の意味も持っていません。

愛するべき読者の皆さん、あなた方は紛れもなく立派な仕事をされています。それは日々の、あらゆる瞬間や状況において、愛のこもった意図を念じていることです。そのような意図が途方もなく強力で効果的なのは、皆さんが神の分身で常に神と一体だからです。そして人類の目覚めは神の、また皆さんの意思でもあります。したがって、皆さんは間違いなく目覚めます。しかし、誰一人として、目覚めを強要されることはありません。愛に強要はないからです。

人類の過半を少し上回る人々は、「幻想の中でゲームをする」のを止める準備ができてなくて、目覚めを遅らせるほうを選んでいます。それらの人々は「幻想世界の人類」として、自ら選んだ道に従うでしょう。これは「悪い選択」ではなく、それが彼らには完全に適切だと思えるからです

絶えず思い起こすようにするべきことは、存在するものは愛だけで、他のすべては幻想だということです。誰も見捨てられることはなく、まして地獄に落とされるようなことはありません。全員が神の愛する子供たちで、いずれはワンネスへ帰還します。もちろん、それは既に起こっています。実のところ、その状態から皆さんが離れたことは決してないからです。したがって、あなたの愛する人たちが、スピリチュアルな世界に全く無関心で関与しようとしないように見えるとしても、また人間として体験している現世界とは「別の現実」が存在することに明白な認識がないように見えるとしても、心配しないことです。「根源つまり神」から切り離された人は一人もいません。「分離」は不可能だからです。ただ、何かの理由により現時点で、それに気づくことを選ばないか拒絶している人々がいるだけです。彼らも、神の愛の抱擁の中に、永遠に留まり続けます。そして彼らが準備できた時に、それは必ず起こりますが、彼らもまた独自の目覚め過程を経て、「一体である歓喜」へ帰還するのです。

本当に、この世界で噴出しているあらゆる抗争や混迷にもかかわらず全ては順調です。人間としての皆さんの体験が、痛みに満ちて強烈な苦難が生起することがあるとしても、それらは「非現実」だということを常に思い起こすようにしてください。どんな形にしろ、あなたが加害されたり地獄へ落されたりするようなことはありません。確かに、あなたの身体が激しい痛みや苦痛を体験することはあるでしょうが、身体は、あなたが宿ることを選んだ「一時的な乗り物」です。それが身体の役割なのです。しかし、あなた方それぞれが個人的に選んだ学び、つまりレッスンを学び終えた時が来れば、心からの感謝と共に身体を捨て去り、本格的に目覚めるのです。

永遠に神と一体であるためには、あなたは身体を持つ必要はありません。しかし身体を持っている間は、それに敬愛の情を持ち、賢く気遣い、それが与えてくれる喜びを楽しむのが分別というものでしょう。神は常に、あなたが幸福で楽しく、平和で充足していることだけを望んでいることを忘れないようにしましょう。あなたがそのような状態でない場合は、あなたは利己的になっており、つまり生命を危険にさらす可能性があることに焦点を当てており、好ましくない状態を引き寄せるのです。あなたが想うことが、あなたの現実になります。したがって何を想うかに注意を払い、あらゆる瞬間に、喜びに焦点を当てるようにしましょう。あなたは永遠に神と一体だから、喜びに満ちていないはずはなく、その状態が変わることは決してありません。

親愛なる皆さんの

サナンダ(ジーザス・クライスト)


(〔PC版はこちら〕)

【目覚めの手帳(第2話)】核の脅威

――「核物質」に関しては、人類にとっての最大の脅威は、稼働中の原子力発電所です。次いで、原子力空母と原子力潜水艦です。地下のサイロで待機している核弾頭も、脅威には違いありませんが、それらは人為的に点火されないかぎり爆発することはありません。核大国間の平和が保たれているあいだは、脅威のレベルは、1ランク下になります。稼働中のものは、すでに「点火」されています。その安全は、運転要員と制御システムが、必要なエネルギーの供給も含めて健全である、という限りにおいて保証されているに過ぎません。それが当てにならないことは、アメリカのスリーマイル島、旧ソ連のチェルノブイリ(現ウクライナ)、そして日本の「もんじゅ」の事故で立証されています。設計そのものの欠陥も露呈しました。
原子力発電所の、立地環境の安全性も何一つ保証されていません。活断層についてのこれまでの知見が貧弱であったことが、阪神・淡路大震災で判明しました。まして、これからの直下型巨大地震は、近い地質時代に繰り返し活動したという、活断層上だけで起こるとはかぎりません。さらに、全世界の431基(1996年末)のほとんどが海岸に立地しているので、たとえば50メートルの津波がくれば、ひとたまりもないでしょう。そのクラスの津波がありうることは、パプア・ニューギニアの地震津波で立証されました。また、河川のそばにあるものは、大洪水による危険があります(1995年9月20日に、ロシアのコラ半島の潜水艦基地で、数隻の原子力潜水艦の原子炉が、メルトダウン[炉心溶融]直前まで行くという事故がありました。原因は、基地に供給している電力が誤って遮断されたためでした。炉の制御システムが、エネルギー供給に依存している怖さを象徴した事故でした)。
(〔02〕=『混迷の星(1999年7月)風雲舎』第10章:プラネタリー・クリーニング)

「奇蹟に対して心を開くことは、私に対してそうすること」と神は言われる(下)

〔本稿の()より続く〕

――どうか、これを知ってください:
真の献身には澄んだ意識を持つことが不可欠で、それは神の恩寵の何たるかを理解していることです。
無条件であることの意味は、完全に目覚めて神に献身することで、盲目的に神に従うこととは別です。

――真の献身には、あらゆるレベルで完全に自覚していることが不可欠で、完全な自覚の下(もと)で決断することが必要です。
ますます多くの人類が、その特質を備えるようになっており、この世界に高い光のエネルギーを放出しています。――アセンションは、あらゆるレベルで本当に起こります。

――私と一緒に来るがよい!

といっても、それは何を意味するでしょうか?
私と一緒に来る意味は、すべての想い、すべての言葉、すべての行動、そして意図することのすべてを神に、つまり私に、調和させることです。

人生に神を持ち込む意味は、あらゆる瞬間に私が存在することによって新たな洞察が助長され、有害な影響力が手放されることです。

――個々の人類にとって、この時期に最も困難なことは(思考、時間そしてエネルギーを)適切に配分しながら、圧倒されるような出来事の中でも、神の保護の下(もと)に留まり続けることです。

あなたのそばに神を持ち、あなたの人生に神を持てば、あらゆることが可能になります。人がとても不可能と考えることでさえも。
私の保護は絶対的なので、あなた自身を完全に私に委ねることです。

神への献身」と表裏一体の関係にあるのは「神の恩寵(おんちょう)」でしょう。
そして上で言われている「圧倒されるような出来事」とは、この先で人類が避けることのできない「惑星地球の完全な浄化プロセス」でしょう。

以下は一連のメッセージの結びの部分ですが、これを読めば、これまでにも伝えられている「惑星地球への神の臨在」つまり、この局面で「創造主)」が直々(じきじき)に地球で働かれている主旨が見えてくるように思われます。
奇蹟」への言及は、その中にあります。

――いま私は人類の中で働いています。
私がやって来たのは、認識への扉を押し広げ、皆さんを害から救うためです。
根本的なポイントはこれです。――あなたが私の保護の下で生きれば、害はあなたに近づくことができず、あなたにとって死は、中身のない影(かげ)であり続けます。
したがって私がお勧めするのは、さらに深くあなた自身の神秘の中に身を浸すことです。あなたの真実の断片を明るみに出すだけではなく。
つまり、お勧めするのは、あなたを構成している素晴らしい現実の全体像を見るようにすることです。

そのために必要なことは、あなたの人生のガイダンスを、私に委ねることだけです。
そうすればすぐにも、あなたは私に融合して、導かれる者と導く者とが離れることはなく、同じ道を同じ目標に向けて歩み、あなたは目標に到着できるでしょう。

私はあなたのために、自分を識別できるようにし、必要な運命の変転を提供し、地上天国を整えます。
このメッセージは、あなたを完全に私に近づけることを唯一の目的とするものです。
あなたのために私は、来る日も来る日も奇蹟を用意しているので、あなたはそれに参画するようにしてください。

奇蹟に対して自分の心を開くことは、私に対してそうすること、
私に対して心を開くことは、奇蹟に対してそうすることです。

惑星地球の現局面は、神が「人類の中で働いて」下さるほどの段階にあるのでしょう。
実際に、「惑星地球の完全浄化」と「地上天国の建設」とを同時進行させ、個々の魂の選択に応じた新世界・別世界への「変転」を寸分の間違いもないように遂行しなければならない。
まさに「神の陣頭指揮」を不可欠とするほどの、宇宙でも空前の巨大イベントなのでしょう。

間違いなく、すべての人類にとって最も必要な「奇蹟」は、これまでの惑星地球が「更地」になり「5次元の新しい地球」へ「変転」するプロセスにおいてでしょう。
これは、どう考えても個人の力では不可能で、「神の恩寵」に縋る(すがる)しかないでしょう。
上記メッセージの他にも「神」ご自身が、そうしなさいと慫慂(しょうよう)されており〔〕、多くの高次元マスターたちも同様のメッセージを送って下さっています。例えば次です。

――あなたが自宅に居ても、どこか別の場所に居ても、「神の臨在」の中にいます。あなたが居ることのできる場所は、それ以外には絶対にないからです。
したがって、目覚めるという意思を可能なかぎり強く保ち、精神領域にいる兄弟姉妹たちに助力を頼むことです。
彼らは、あなたを常に見守り励ましており、あなたが覚醒に至るよう軽くつついて注意を引いたりしています。だから必ず応えてくれるのです。
いつも彼らはそこに居て、あなたが助力を頼んでくるのを我慢強く待っています。それが彼らの望みだからです。〔

――献身を抜きにした生き方は不可能です。
何故なら、創造の中のあらゆる世界の「いのち」は献身によって創られ、個別の「いのち」に対する創造主の献身によって受けた、形態と表現を身につけているからです!
つまり献身は、すべての「いのち」の根本的な原理です。

――今日まで皆さんは、様々に異なるセミナーや講座やワークショップなどを体験して、多くのものを身につけられたことでしょう。
それでも皆さんの中には「残りかす」があります。――手放したくなかったものや、どんなに努力しても今日まで解放しきれなかったものが。
根本的な原理はあなたに明かされていないのか、基本的な洞察が欠けているのか、完成はまだやって来ていないのか?
そうだとすれば、何故でしょうか?

親愛なる皆さん、私が申し上げたいことはこれです。
何故なら、あなたの神への献身が、いまだに保留されているか、または完全ではないからです。
これに関して言えば、あなたの神への渇望は、もっと自由に表現される必要があります。
そうすれば神を深く信頼して、この最後のステップを受諾する気持ちが生まれるでしょう。――「その日」が到来する前に。〔

――いったんあなたが神と直接つながり、神との無条件のワンネスを実現すれば、すべてが与えられます。神への完全な献身の下では、無くて不自由するものは何もないのです。
不足感が起こるのは、神の摂理が不適切に捉えられているからです。

そこでいま、この事実に注目して、それに集中的に注意を向けましょう。
そこは、あなたにとって未知の場所ですが、あなたが大昔から目的にしてきて、あなたの渇望が満たされる場所です。〔同上〕

ちなみに「奇蹟的な体験」は、かなり前から多くの方にとって日常茶飯事のようになっているのではないでしょうか。
私のささやかな体験の中でも、個人としてまたはグループとしての「奇蹟的な出来事」は多数あります。
その中で簡単に視覚できる映像として、例えば次があります。
ウルルのサンセットSunsetOfUluru
イルカたちDolphins
風と砂の芸術WorksOfWindAndSand
これらは当日が荒天では(場合によってはその前の天候状態によっても)「ぶち壊し」になる「一発勝負」の賭けのようなものですが、いずれも交通手段やホテルの予約の関係で、(旅行の主目的に付随して)少なくとも1か月前に決まった旅行日程の一環でした。
それが失敗することは全く念頭になく、成功を願いもせず祈りもせず、単純に予定の中に組み入れただけです。
これらが神の采配なのか、地球さん(ガイア)の配慮なのか、宇宙同胞たちの働きか、それとも「たまたま」そうなっただけなのかは不明です。「宇宙に偶然はない」とも言われますが。

以上は「奇蹟」という意味では序の口で、皆さんは遥かに目が醒めるような体験をされていると思います。
上のメッセージのなかでも、このように神は言われているからです。

――皆さんは覚醒への過程で、日々に自らの基本波動を上昇させており、それが皆さんの内部で起こっています。
皆さんの光は日々に明るさが増し、精神的負担が小さくなっています。
皆さんは日ごとに神に、つまり私に近づいており、すでに多くの方が私に、誠実に、無条件に、そして完全な献身と共に、ついて来ています。〔