(Q) 小松様 こんにちは。
新たに創造主よりのお言葉をお伝えさせていただきましたので、重ねてご連絡いたします。
どうぞよろしくお願いいたします。
(A) 拝見しました。ありがとうございます。
これは、創造主が地球人類に宛てられた衷心からのメッセージですね。惑星地球の本来の姿は、創造主の意思を受けて「宇宙の実験場」として創られた「宇宙でも希有の美しい星」だと、私たちは教えられています。
――その穏やかさと美しさは、ここを完璧な場所にすることをもくろんだ多くの存在たちによってもたらされました。それは、宇宙空間で、この銀河で、回転している宝石、あなた方の創造主と、これらすべてを気にかけている多くの存在の意思により、創造の法則に従って回転している宝石なのです。 〔ガイアからのメッセージ①〕
――これらの存在は、創造者としての神ではなく、宇宙全体からやって来た存在たちです。地球の創造は一つのプロジェクトだったので、そのために宇宙のすべての存在が、最高に美しい場所を創り出したいと願って集まりました。そして、その時にたくさんのアイデアが出されたのです。彼らの惑星でうまくいった物事のアイデアと、創造という方法を通してすべての場所の最善のものをどうやって地球にもたらすかというアイデアでした。〔ガイアからのメッセージ② 〕
しかし、志願してこの地に定住しようとしてきた人々の中で、外部からの影響も受けて、ある時期から「創造の意図」とは違う方向に惑星地球を動かそうとする勢力が力を持つようになり、惑星地球は不調和と波動的低落を重ねながら現在に至っています。
――他者の命を奪うことを当然と考えている人が大勢います。彼らはこの地球で生まれ、育ち、地球というのはいつまでも変わらないものだと考えています。けれどもそれは真実ではありません。川は汚染され、ある日姿を見せた動物が、翌日にはいなくなる、といったことが起こりえます。長い年月を費やして進化してきた地球の生命たちが、一世代で全滅することすらあるのです。嵐は思いのままに荒れ狂うように見えます。激しい嵐や地震があり、そして火山の爆発では、噴出するガスが動物や人間に害を与えます。そうした猛威の一方で、地球には宇宙でも比類のない穏やかさと美しさが存在します。一つの場所に、どうしてこれほど正反対のものが存在できるのだろう、と皆さんは思うかもしれません。
――そしてそうした不調和なイメージと不協和な音は、ここ地球に存在するアンバランスのために速度を増しています。その不調和は、言ってみれば人間の考えのなさから生じているのです。ご存知のように、いつもそんなふうだったわけではありません。人類は、かつては自分たちが住む場所を大事に世話する義務があると感じていました。それは自然な感覚だったのです。あなた方は、いつも自分たちの母親の世話をしていました。地球は、ある意味で、あなた方の母親です。あなた方はここ地球に住み、言ってみれば彼女の胎内で生まれました。彼女はあなた方を育(はぐく)んできましたし、今もそうしています。〔ガイアからのメッセージ①〕
創造主からすれば、惑星地球だけでなく宇宙を挙げて「新時代」へ移行させるタイミングが目前に迫っている現時点で、特に惑星地球の住民を、まずは人々の認識と意思を、何とかして「あるべき姿」に戻したいという強い思いを持っておられるのでしょう。今回のメッセージからは、その思いが凝縮されている印象を受けます。
1.〔わたしの子らよ〕について
まず、このタイトルですが、これは「真の父(創造主)」から「我が子たち」つまり私たちへの、呼びかけだということを明確に表明されています。そして文末で、「そなた達は わたしの子 それこそは まぎれもない 真実」と、念を押されています。
地球での親子関係も重要な人間関係に違いはありませんが、それも、「(魂のレベルの)真の親子関係」についての正しい認識を持つことができて初めて、意義深い関係づけができるものでしょう。
そして冒頭の言葉「大きな分岐点に立っておるこの時」という時代認識を、生き方の根底に持つことができているかどうかによって、前途では、それこそ天と地ほどの違いにつながると考えられます。
そして「みなの者は 巷の喧騒にやきもきしているのではあるまいか」と言われるのは、ますます不調和が拡大して平穏が保たれない方向へ、この世界が急速に動いているように(少なくとも表面的には)見えることを指しておられます。
「それは わたしが光の中で照らし出した結果である」と言われる意味は、この世界に潜在している「ヤミ」を「光の中で照らし出し」、誰の目にも触れるように浮上させることが「浄化のプロセス」として必要だから、「わたしが」起こしているということでしょう。
したがって、「そこに引き込まれるのではなく わたしに返すのだ」と言われますが、「わたしに返す」とは、具体的には、どうすればいいでしょうか。
それは、良くも悪くも(ポジティブでもネガティブでも)見聞きしたり、体験したりして「頭を離れない(心が「空」になれない)」ものを、特にネガティブなものを、逐一創造主に報告して、その采配に委ねること、そのようにして念頭から消すことを指しておられるでしょう(次のメッセージ〔信じる〕の冒頭でも、それに言及されています)。
その際に、以前のメッセージで創造主(神)が、「わたしは 常に そなた達と共におる そなたの内におる いつ いかなる時も 忘れるでないぞ」と言われていることを、念頭に置くようにしましょう。
次に、「地上に生を享けし そなた達は おのれの使命を全うすることが わたしと交わした約束」と言われる「おのれの使命」については、「魂に刻まれし わたしの刻印」だから、「さればこそ わたしに想いを馳せたれば 心に思い浮かぶ 感じる 何かに気付くであろう」と言われています。
人の使命について、例えば、以前のメッセージで次のように言われていますね。
――”地上において天国を造る” ”人をたすける” そして ”全人類 その父母先祖をはじめ 万物と共に私のもとに立ち返ってくる” という使命である
ここにある「私のもとに立ち返ってくる」が、最も肝心のことと考えられます。――それを志向しないことには、何も始まらない。
――そしてあなたの準備が整えば光が射してくるでしょう。
つまり、惑星地球で人間として生きることについて意味を持つ唯一の理由は、「永遠のスピリチュアルな故郷」である「現実」へ帰還する道を見つけることだと、あなたは遂に気づくでしょう。
そこでは、あなたは永遠に「根源の意識」つまり「至高で無限の叡智」――人類の用語で「母なる、父なる神」と最高の幸福感をもって呼ばれる存在――と一体なのです。(そしてあなたの準備が整えば光が射してくるでしょう―サナンダ)
2.〔信じる〕について
このメッセージの冒頭で、前のメッセージで言われた「わたしに返す」ことに言及されています。
「いつ いかなる時 いつ いかなる事が 起ころうと」、「それを わたしに返し続け」ること。
そうすれば「わたし(創造主)」は、「全てのものを 受け取り わたしのものとして認め」、その上で「あらたなる旅立ちの要素としての ひらめきを与えよう 気付きを与えよう」と言われています。
――まさに、ここまで言われて、それを見逃す手はないという感じですね。
しかし、その言葉を信じることが大前提になる。そこで「信じる」というタイトルが重みを持ちます。
そして、「(神を、創造主を)信じる」という極めて簡単にみえることを、私たちの社会で難しくしている事情に言及されています。
「疑念を抱くことの多き世にあって 迷いを生じ おのれに固執し 学問の虜(とりこ)になってはおるまいか」と。
ここでいわれる「学問」は、いわゆる「先進社会」の多くの方が競って求める「情報一般」に敷衍して考えられます。
残念ながら人類の現社会では、「学問」も「情報」も様々な意図によって色づけされているので、それらを多く取り込み、それに浸る時間が長ければ長いほど、間違いなく迷路にはまっていきます。
そこで、「一度 それらを捨てて 白紙に戻すことが出来れば その真偽の程がみえてくるであろう」と示唆されています。
――大切なことは、いま現在とそのエネルギーがやってくる瞬間との狭間(はざま)にあるこの時点での、各個人の選択なのです。それは限りなく個人的な選択であって、どの国の者だとか、どのコミュニティに参加しているとか、どんな組織に属しているかとか、またどんな宗教、どんな規律を学んできたかとか、どんな知識を持っているとか、そういったことは一切関係ないのです。それらすべては無に等しいものです。 (創造主アセンションと2012年を語る④)
その一方で、「わたしの 新しく送り出す永遠の叡智」や「今後 起こるであろう わたしからの贈り物」を見逃さないように、と薦められています。
前者は、高次元宇宙社会では当然のこととして理解されている「宇宙の真理」で、すでに送られているものに加えて今後ますます送られてくるもののことでしょう。
後者は、この先で私たちが逢着する「出来事」のことで、それには「贈り物」という言葉にふさわしいものだけでなく、以前のメッセージで言われた「これが神のなさることか」と思われることも含まれるでしょう。
いずれにしても、それらが私たちにどう関わって来るかは、個人として何を選択し、どの方向を志向するかによって決まると言われています。
「良くも悪しくも おのれにかかっているのである」と。
(〔PC版はこちら〕)