サナンダとクシナダからの協働メッセージ(3)― 愛に生きる

(Cooperative Messages from SANANDA and KUSINADA (3)
live the Life of Love
)

(ゆうふぇみあ)

小松様 いつもありがとうございます。

新たに、メッセージをお届けくださいましたのでご連絡いたします。

新生テラへのいざない (5)無償の愛を表現するために

どうぞよろしくお願いいたします。

(小松)

拝見しました。ありがとうございます。

今回のメッセージは、大御神さまの「宿願の第一」とも言える、「人類を新生テラに迎え入れること」につながる珠玉のガイダンスに満ちていますね。

全文を熟読玩味されると、それぞれの方が、ご自身の「前進」への有益なヒントを随所から汲み取ることができると思われます。

私の場合は、お二方メッセージの次の箇所が印象的でしたが、それに関連して特に、全体の流れの中での「日本人の位置づけ」に考えが及びました。これに関しては、別項(◆「日本人の位置づけ」について)として下に記載しました。

◆サナンダ メッセージ

――愛の権化である創生主。
その創生主と一体となるということは、まず、“
愛に生きる ” ということでしょう。
口にするのはできます。
しかしながら、それを日々生活の中で実行してゆくには、やはり並々ならぬ決意というものが必要になりましょう。
深慮の上での行動も必要となりましょう。

 それを日々生活の中で実行してゆくには、やはり並々ならぬ決意というものが必要」――「日々生活の中で」たまたま関わりが生じた見知らぬ人や知っている近所の人などの場合は、かなり簡単に「実行」できると思われます。しかし家族や職場や趣味のグループなど、関係が深ければ深いほど、事毎に考え方の相違などが表面化しやすいので、自分の立場や考えを、どのように扱うか「やはり並々ならぬ訓練が必要になるかと思われます。

深慮の上での行動も必要となりましょう」――例えば、あなたが何の害意も持っていなくても、さまざまな動機(例えば嫉妬心)から、あなたを直接のターゲットとして攻撃(口撃)してくる場合もあるでしょう。このような場合「短慮は損慮」で、何らかの「行動」を起こすとしても「深慮の上で」行うことを勧められているようです。

――日本の方々の場合は、愛情の表現が苦手のようにお見受けします。
ストレートに感情を出さないことは確かに美徳かもしれません。
私たちは、創生主の愛があって誕生いたしました。
愛が原点なのです。
ですから、何をおいても “
愛を表現する ” “ 伝える ” ことが大切です。
特に、年配の方々は苦手意識が強いようにお見受けいたします。
勇気を持って取り組み始めましょう。

日本の方々の場合は、愛情の表現が苦手のようにお見受けします」――日本の方々が「愛に乏しい」ということではなく、その「表現の問題」が提起されていますね。これには民族の「文化的背景」が関わり、うかつに表現すると誤解される場合も少なくないようです。そこで「感じてほしい」という「静かな愛」が好まれるのでしょう。しかし「ほしい」という思いがあるなら、「勇気を持って」「表現する」「伝える」ようにするほうが、間違いなく結果はベターでしょう。

それとは別に、例えば「親の子に対する」または「子の親に対する」ような、それに類する「無償の愛」は、日本人の場合は特に表現しないと思いますが、それはそれで結構ではないでしょうか。

◆クシナダ メッセージ

――そして、心の底よりご自身を愛でましょう。
ご自身の健康・生き抜く力を養い、健全な精神力を鍛えましょう。
その上でこそ成り立つ、全ての取り組みであろうかと存じます。

心の底よりご自身を愛でましょう」――これは、本当に大切なことだと思います。「からだに鞭(むち)打って」アタマだけの思いで「からだの都合」に関係なく、しゃにむに行動する方が少なくないようですが、「自分の身体に迷惑をかけている」ことに気付いていないようです。そして体調を崩し、遅かれ早かれ「周囲の人々にも迷惑をかける」のです。これは、「自己中心」で生きておられる方に多いようです。

ご自身の健康・生き抜く力を養い、健全な精神力を鍛えましょう」――まさに、ここで言われる通りですね。

◆「日本人の位置づけ」について

日本人の多数が「変身を遂げる」ことへの期待

上で引用したサナンダのメッセージのこの箇所、「日本の方々の場合は、愛情の表現が苦手のようにお見受けします」は、明らかに日本人を対象としています。

それがヒントとなって私が連想したことは、大御神さまを始め関連する高次元の方々の一連のメッセージは、そもそも日本人を主たる対象とされているのではないか、ということです。

つまり、「日本からメッセージを世界に発信する」のではなく、周囲の世界から孤立した永い歴史を持つ特異な民族集団で、その集団としての規模や性格によって全世界への潜在的影響力を少なからず持っている日本人の相当数が、まずは大御神さまのご期待に沿う方向に「変身を遂げ」、それが世界に波及するという筋書きです。

したがって、201911月から始められた「サナンダとクシナダからの協働メッセージ」シリーズも、当然ながらその延長上の位置づけになると考えられます。

それというのも、サナンダイエス・キリスト)ご自身は、以前から様々な「情報の中継者」を通じて、英語やドイツ語による情報発信を精力的に続けられているからです。

例えば、イギリス生まれのアメリカ人「ジョン・スモールマンJohn Smallman)」のサイト(https://johnsmallman2.wordpress.com/)がそれで、最近でも月に12回のペースでメッセージを送られています。

その一部を当サイトでもご紹介しており、比較的近年のものとして次があります。

人類の何が間違っているかを識り前進する道―サナンダ

あの「2012 冬至」に何が達成されたか―サナンダとの対話

本気で心を開けば愛なきものは全て剥れ落ちます―サナンダ

日本人の特異な性格形成に至る歴史的背景

これに関して直ちに想起されるのは、日本における「縄文(縄紋)時代」という独特の時代の存在です。

最も一般的な時代区分では、それは現在より13千年前から3千年前までの1万年の期間で、くしくも「ポスト・アトランティス(アトランティス崩壊後)の世界」に重なります。

ごく最近に至るまで十分な研究調査が進んでいる「縄文時代」の最大の特長は「完全な平和が維持された1万年」で、世界史に類例のないものです。

縄文時代を生み出した日本民族の原型は、ヴュルム氷期(その最寒冷期期)に向かう過程で、シベリアやモンゴルの樹林帯を生活の場としていた民族の中で、適地を求めて(寒冷化による海面降下で陸続きとなった、間宮海峡―樺太―北海道―津軽海峡―本州のルートで)南下してきた人々によって、また一部は浅海となった対馬海峡を小舟で渡って来た人々によって、構成されたことはほぼ間違いないとみられます。

その後、約12500年前に起こった気温の急上昇によって、地球全体にわたって海面が約100メートル上昇して現在の陸地の形状となります。そして日本列島は完全に孤島()となります。

これが、縄文時代(縄文文化)の始期となるわけです。

縄文文化の特徴は、定着を主体として豊かな食料採集(ドングリやクルミなど木の実や、野生のイモ類を主体とし、一部にシカやイノシシなどの草食動物、あるいは魚類や貝類を含む)が行われ、住居としては典型的に、近くの小川などから水が得られる、なだらかな台地の雑木林の中に、数戸から数十戸の堅穴住居によって一つの「集落またはムラ」が構成されていたようです。それらは、場合によって供用の祭祀センターや広場を持っています。これらは、主に発掘調査によって明らかになったことです。

このような環境の中で、人々は一定のルールに従って住居単位の生活を営みながら、必要に応じて自然な形で協力し合う体制が出来ていたとみられます。

また、日本全土にわたる交流や交易も存在していたことは。住居様式の類似性や、生産地が限定させる黒曜石の製品が、日本全土から発掘される事実によって分かります。

ご存知のように日本は、縄文時代に続いて現代まで短期間に急激な変転を経てきますが、それを大雑把に区分すると次になります。

(1)縄文から弥生への文化の大転換(農耕社会の成立)

(2)古墳時代から江戸幕府の成立まで(内戦の時代)

(3)江戸時代(平和の中での町民文化の繁栄)

(4)明治維新から現代まで(世界の中の日本)

この中で日本人の性格形成に何よりも大きく影響したイベントは、縄文時代末期から弥生時代にかけての、大陸からの「渡来者」の大規模な「移住」でしょう。

その規模の大きさについて、人類学研究者の埴原和郎(はにはら かずろう)さんが1988年に発表した推計があります。

これは、AD700年の(ある程度信頼できる)日本人の総人口540万人を前提として、その1,000年前の弥生入口(農耕開始時)の総人口を〔ケース①75,800人、〔ケース②160,300人と仮定して、それぞれについて年平均人口増加率0.1%0.3%を適用して結果を導いたものです。

その結果は、人口増加率0.3%の場合、AD700年の「縄文直系子孫」と「渡来者(血統)」の比は、〔ケース①1:2.5、〔ケース②1:07となります(ちなみに人口増加率が0.1%の場合は、それぞれ1:251:11です)。

いずれにしても、弥生時代600年の初期に、異質の文化を背景に持つ膨大な数の「渡来者」たちが、日本の本州諸島に渡来されたわけでね。これを偶然の出来事と片づけるにはスケールが大き過ぎますが、いかがでしょうか。

これらの人々は、水田稲作をはじめ青銅器や鉄器など当時としては革新的な技術をもたらしてくれただけでなく、社会を編成し統合する原理や世界観なども持ち込んでくれたようです。

さらに、純朴な縄文人の社会に急速に同化して、異民族の侵入や内戦などによって常に「戦乱の場」に曝されてきた彼らが持つ「防御や闘争のDNA」を、日本人の中に広く拡散してくれたという「貢献」も間違いなくあるでしょう。

それでも、縄文人の特質としての「縄文の心根」は、弥生に続く上記(2)(3)(4)の時代においても簡単には消滅することがなく、今に至るまで日本人の心の深い部分で生き続け、日本人の特質を構成する一翼を担っていると考えられます。

そこで、世界から見た日本人の特質は、どのようなものでしょうか、以下に簡単にまとめてみました。

世界から見た日本人の特質

はじめに「特質」という言葉は、「長所と短所」に置き換えることができると思いますが、見方によって長所は短所であり、その逆も真なりと、ここではご理解ください。

1.丁寧で学び上手

細かいところまで丁寧に行う、小技(こわざ)を効かせる、完璧主義。

これに「学び上手」が加わると、外国人や他者が創案した基本原理を素早く取り込み、持ち前の小技を効かせて、短期間に相手を凌駕するものに仕立て上げる。

2.大局的に、本質的に物事を捉えることに弱い

短絡的に、皮相的に捉えて、わかった気になる。したがってマスメディアの報道ややコマーシャルなどの裏にある「人心操縦」を見抜くことが出来ない。

3.集団主義で秩序を守る

何事も集団で行うことで安心・安全を得ようとする。したがって「集団の論理や秩序」に注意し、簡単に妥協する。

「秩序を守る」ことは「形式主義」に通じ、融通が利かない、柔軟性がないと思われてしまう。

4.自己表現が下手で主体性がない

日本語という特殊が言語の壁があり、それに完璧主義が加わるので、外国人と「腹を割った」付き合いが出来ない。

学校でも「討論する」ことが磨かれないので、自己を表に出さず、YES,NOを明確にせず、相手に合わせてしまう。したがって、外国人には、どこに本心があるのか分からない。

5.誠実、正確、綺麗

他人が置き忘れたものや拾ったものを、所定の窓口に届ける努力を怠らない。交通機関などの運行が正確で、個人でも約束時間などを守らないことは少ない。公共の場所や民間の施設など、何処へ行っても清潔。ただし、街中の風景は、大都会でも地方でも乱雑で、お世辞にも「美しい」とは言えないが。

(ゆうふぇみあ) 

小松様 こんにちは。
いつもご感想をありがとうございます。

今回「サナンダのメッセージ」にて ” 愛に生きる ” ことが、新生テラ移住に最短の道であるとお伝えいただきました。

本当に考えさせられるメッセージです。

ただいま、クシナダ様よりエールを送っていただきましたのでお伝えさせていただきます。

クシナダよりの伝言

この度は “ 愛 ” をテーマにお伝えいたしましたが、まこと、いにしえより現在に至るまでの永遠のテーマと申せましょう。

ひとくちに “ 愛 ” と申しましても、そこには様々な意味合いが込められ、含まれておりますね。

みなさまも、とまどいがおありかもしれません。

伝える側も、 “ 愛 ” をテーマにすることは必要不可欠と思いつつも、その内容に関しましては、環境のことなる中、一定の法則には当てはまらないと考えております。

これは、みなさまが内なる神と共に生きる良き訓練となるテーマではないでしょうか。

内なる神にたずねつつ、そして、表現しつつ、内なる神に返す道に日々励んでいただきます様、お祈りいたしております。

【関連】

新生地球からの情報発信開始に際し 大御神、サンジェルマン

サナンダとクシナダからの協働メッセージ(2)― 神の子として生きる

 

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