このメッセージでサナンダは、人類が個人として自ら招いて陥っている苦境から、即座に脱出する道を次のように説明されています。
――あなたは、「魂の源」と一体であるように創られており、その状態は定まっており変わることは有り得ませんが、それを一時的に見失っただけです。それは、あたかも空を通り過ぎる小さな雲に視界を一瞬だけ遮られたようなもので、次の瞬間には、永遠に輝く太陽を見ることができます。
――皆さんの中で誰一人として、神から忘れられ、置き去りにされ、見失われ、またどんな形であっても審判の対象となったり欠陥があると判断されたりすることはありません。あなたは創造された時から変わらず、永遠に完全です。したがって、くつろいだ気分で自分自身を受入れ、自ら選んだ人間の姿を――それを必要としないと思うようになる時点までは――大いに楽しみましょう。そうすれば、自分の神性を完全に自覚できて、その嬉しさが心に満ちるようになるでしょう。
――あなたが、この状態を実感していない唯一の理由は、それを体験することを自分自身に許していないことです。そしてあなたは、自己に対するネガティブな評価によって視野を遮り、真実を見えなくしているのです。
これに対する人類の確信が、なかなか普遍的なものにならない実情はご存じの通りですが、それを解きほぐすためにサナンダは、「神(創造主)と人間との関係」を「一般家庭の親と子供たちとの関係」になぞらえて、印象的な説明を与えてくれています。そして個人として「神の愛」を受取るための、具体的な手順についても言及されています。
タイトルにある「帰郷」の正確な意味と、なぜその歓迎が「輝かしい祝賀から始まる」かについては、メッセージを最後まで読めば完全に納得できるでしょう。
サナンダのメッセージ
自分の本質に気づいて目が覚めた瞬間は誰にとっても忘れられない出来事で、その瞬間に自分が何をしていて、この目覚めがどれだけ突然やって来たのかを正確に覚えています。人生のあらゆることが「普通に」動いていて、次の瞬間に自分が「神と一体」であることを知り、あらゆる疑いや不確実なことが消えている――これ以上の歓喜があるでしょうか。
誰もが、神に創られたすべての存在が、その目覚めの驚異を体験するでしょう。それは誰にとっても定められており避けることのできない、常に「自己の魂の源と一体である」という「最も根本的な認識」の回復です。「自己」と「魂」と、そのどちらが欠けても完全ではなく、また「不完全」は有り得ません。したがって、あなたが自己の「もう一方」、つまり「あなたのハイヤーセルフ」「神なる自己」「あなたの一体性」を失うことは決してありません。それによって、あなたの「神聖な万物の一体性」の中での完全無欠性は、常に永遠に存在します。あなたは、「魂の源」と一体であるように創られており、その状態は定まっており変わることは有り得ませんが、それを一時的に見失っただけです。それは、あたかも空を通り過ぎる小さな雲に視界を一瞬だけ遮られたようなもので、次の瞬間には、永遠に輝く太陽を見ることができます。
神は「彼の創造物」を深く愛しており、それらが完全に目覚め、完全に気づき、完全に生きることを強く望んでいます。したがって、それは必ず実現するでしょう。痛みや受難を伴う「幻想世界」でゲームを演じるという選択権は、すでに撤回されています。だから皆さんの目覚めが現に起こっているのです。その兆候は、周りに溢れ返っているので眼を見開いて確認し、それを認識したら歓喜雀躍しようではありませんか。皆さんの中で誰一人として、神から忘れられ、置き去りにされ、見失われ、またどんな形であっても審判の対象となったり欠陥があると判断されたりすることはありません。あなたは創造された時から変わらず、永遠に完全です。したがって、くつろいだ気分で自分自身を受入れ、自ら選んだ人間の姿を――それを必要としないと思うようになる時点までは――大いに楽しみましょう。そうすれば、自分の神性を完全に自覚できて、その嬉しさが心に満ちるようになるでしょう。
あなたの本質は「愛」で、他の何者でもありません。したがって、この神聖な真実を、改めて自覚しましょう。それに気付いてほしいと神が望むのは、それによって皆さんに大きな喜びがもたらされるからで、皆さんに対する神の望みと意思は、皆さんが常に変わらず永遠にわたり喜びの中にいることだからです。あなたが、この状態を実感していない唯一の理由は、それを体験することを自分自身に許していないことです。そしてあなたは、自己に対するネガティブな評価によって視野を遮り、真実を見えなくしているのです。
「幻想」の主な様相の一つは、自己に対する皆さんのネガティブな評価です。皆さんが神からの離脱を選んだ時点では、それが皆さんに対する神の永遠の愛を拒否することだと分かっていました。しかし皆さんは、いずれにせよ神を必要としないことを、自らに納得させようとしたのです。それは、十代の若者が両親からの自立を立証しようとして、家を離れたり長期の世界旅行に出かけたりするのに幾分似ています。しかし自立を立証しようとする意思の心底では、物事がうまく行かない場合は、いつでも家に戻ることができるという認識を保留していたはずです。そういう事態が実際に起こった場合、彼らは、まだ十分に自立した大人になっていなくて一人では世渡りができないことに気づいて、いくらか恥ずかしい思いをしますが、それでも実家という安全域へ戻るものです。
さてそこで、そのことは、皆さんと神との関係に非常に似ています。心の奥底で皆さんは、常に自分の親に愛され大事にされていることを確かに知っていますが、内在する恥じらいが次のようなネガティブな自己評価と一体となって依然として残るのです――「まだ自分は十分じゃないし、独り立ちできないので家に戻るしかないが、たぶん受け入れられないだろう」――ところが親としてのあなたは、子供たちと極度の確執でもない限り、彼らが家に戻ることを「常に」歓迎することが分かっています。それは親としての子供たちへの愛であり、できる限り彼らを支えることが希望だからです。したがって「決して」拒絶することはないでしょう。
そしてもちろん、神は、私たちの「天の父」は、永遠に愛し続け受入れ続けます!
あなたに必要なことは、神を求め神に頼ることだけです。――完全な信頼を持ち、疑いや懸念や怖れや、またネガティブで不適切な自己評価などを脇に置き、あらゆる瞬間にあなたを取り囲んでいる「愛のフィールド」に対して完全に心を開きながら、それを行うことです。
神の報い、審判、拒絶などというものは存在せず、愛だけが存在します。そして、その愛は永遠です。いうまでもないことですが、ほとんどの皆さんは、自分の子供や、きょうだいや、配偶者や、友人などの、身体的または精神的な苦痛に対して、慰め安心させようとしたことがあるでしょう。その瞬間あなたの心底にあった相手への愛は、非常に強かったはずです。そして、神が持つ皆さんに対する愛の思いは、常に変わらず、もっと強くて、実際のところ皆さんの想像力を遥かに超えています。
あなたへの神の愛は間違いなく常にあなたと共にあることを、ともかく信頼して、あなたへの「神の愛」が絶え間なく燃えている、あなたの聖域、あなたの内なる祭壇へ入っていき、心を開いてその愛を受取るようにしましょう。それを神は、あなたに対して常に差し出しており、あなたが受け取るのを優しく待っているのです。そのように行って、神の抱擁の、温かさ、安らぎ、そして安心を感じてください。そこが、あなたの永遠の「故郷」で、あなたが「常に」完全に歓迎され、「必ず」受け入れられる場所です。そこは「あなたの故郷」だから、その中へ入る全ての権限を、あなたは持っています。あなたがそれを実行したとき、あなたの「帰郷」の歓迎は輝かしい祝賀から始まります。何故なら、あなたの「帰郷」は、痛切に待ち望まれているからです。
親愛なる皆さんの
サナンダ(ジーザス・クライスト)
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