恐るべき原発の負の遺産―「東芝解体(週刊・東洋経済)」を読んで

近年の私は、古巣の日立を始め「企業動向」には全く関心がありませんでしたが、先日どこからか「東芝解体」の文字が飛び込んできたとき、何か因縁めいたものを感じて「東洋経済(2月4日号)」を手にしてみました。

その因縁というのは、1993年11月に春秋社から第1刷を発行した『タスマニアの羊―成長神話を超える経済へ』の中で、高速増殖炉開発や再処理工場建設の危険性、また日本が進めている「(使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを抽出する)核燃料サイクル」がいずれ破たんすること、そして「高レベル放射性廃棄物」を最終的に処分する方策を持たない「原発(原子力発電)」からの完全離脱を目指すべきことなどを論じたからです。

それが「東芝」とどう関連するかは、2006年10月に東芝がアメリカWH社を約6000億円で買収したとのニュースに接した時、「東芝は危険な賭けに出た」というより「東芝はババを掴んだ」と直ちに思ったことです。ちなみにWH(ウェスティングハウス)は、GE(ジェネラルエレクトリック)と並ぶ、アメリカの大手原発(開発・製造)会社です。
その後の確か2010年ころ、日立コンピューター関係事業所のOB会の2次会で、日立の財務担当役員だった後輩と雑談する中で、その彼が「株価で東芝に抜かれた」と残念がるのを聞いて、「東芝はババを掴んだから遠からず再逆転するよ」と話した一幕もありました。

また日立も、東芝や三菱重工と同様に原発を主力事業の一つとする会社でしたが、上記した私の著書を出版した直後に、故・三田会長が役員会で『タスマニアの羊』を読むように薦めてくださり、その話が日立グループの末端まで伝わったことが大きく寄与したのか、「こんな硬い本が三刷まで行ったことが業界で話題になっている」と春秋社の社長から聞かされました。
三田さんは1972年当時、それまで赤字続きだった日立のコンピューター事業再建のために特命を受けてコンピューターの中核事業所に赴任された際、社員食堂で使っていた「割り箸」を(資源を大切にするために)繰り返し使用する「塗り箸」に替えさせたような大局観の持ち主だったので、『タスマニアの羊』の基本理念を評価していただいたようです。

さて、本筋の「東芝解体」の件ですが、まだ前途には不確定要素が多々あるとしても、「東洋経済」の28ページに及ぶ特集記事は、「週刊という短いサイクルでの編集を強いられる中で、よくぞよくここまで」と思わせられるほど深層に及んでいます。
そして問題の核心は、私が直感した通り「WHの買収」に起因していました。

簡単に言えば、親会社東芝は、子会社WHが抱え込んだ出来事によって、2016年の初頭と年末に「ダブルパンチを食らった」のです。
その「第一撃[注1]」は、他の要因も含めて、2016年3月期決算の最終赤字4600億円に反映しています。そして「第二撃[注2]」は、2016年末にWHに起因する新たな赤字要因として東芝が公表し、詳細は精査中という「数千億円(7000億円ともいわれている)」です。

[注1]:約6000億円のWH買収価格が、一般に認められているWHの資産価値を上回る部分を、東芝は「のれん(無形固定資産)」としてバランスシートの資産に計上していたが、2008年を最後として新規受注がない状況を受けて、2016年3月期決算で「のれん」から2600億円を「減損(資産を減額して特別損失に計上)」し、会計の一部を正常化した。

[注2]:WHが2008年に受注した2件の原発(いずれも米国)の建設中に起こった「福島原発事故」を受けて米国の規制が強化され、WHは設計変更を余儀なくされた。そのため建設工事が遅延し、プロジェクトの予算を上回るコストが発生、その追加費用の負担を巡って、WHと建設会社そして発注元の電力会社の三者による「訴訟合戦」が起きた(2012年~2015年)。
この「合戦」は、2015年夏にWHが建設会社を買収する形で三者の合意が取れ、追加費用(工事費の増額分)を電力会社が負担する形で決着したとされていた。
しかし追加費用の見積もりで関係者間に誤算があったのか、あるいは電力会社との間に裏取引があったのか、「当の建設会社の親会社」がWHに対して新たな訴訟を起こし、裁判所の判断が出るまで、こう着状態に陥った。
しかしWHにとって数千億円規模の追加費用が発生することは間違いないようで、それが東芝に知らされたのが2016年12月初旬。
それから東芝の緊急会見(「数千億円の赤字が見込まれる」:12月27日)、金融機関への説明会(2017年1月10日)と、「名門・底なしの危機(東洋経済誌の表現)」が表面化した。

同社の株主資本は既に3000億円程度にまで落ち込んでいるので、このまま2期連続で5000億円規模の最終赤字決算になれば、「債務超過」に転落し「上場廃止」になりかねないという状況です。
この大問題が浮上する前の2015年には、東芝の不正経理が大きな話題になりました。
それを受けて発足した同社の新体制は、不正経理で(2009年以降に)水増しした利益の是正や上の「第一撃」などを2016年3月期決算で清算し、好調な半導体メモリー事業の利益によって、業績を上向かせる目途が立ってきた矢先に今回の「第二撃」を食らったのです。
そして2017年3月期決算を目前に控えた現時点で、東芝が採り得る手段は極めて限られているようです。

このような苦境で普通の企業が最初に行うことは、新株発行による「公募増資」によって資本金を増やし、まず現金を手にすることです。
しかし東芝の場合、上記した不正経理の発覚を受けて、2015年9月に東京証券取引所などから「特設注意市場銘柄」に指定されており、公募増資を行う道は実質的に閉ざされています。
さらに、2016年3月期決算を確定する過程で既に、「債務超過⇒上場廃止」ぎりぎりにまで追い込まれており、「優良子会社の株式売却[注3]」など緊急に採りうる大胆な(というより苦し紛れの)手段を使ってしまっています。

[注3]:「東芝メディカルシステム」の全株式を売却(6655億円、キャノン)、「東芝エレベータ」がフィンランド・コネ社の全株式を売却(1180億円、機関投資家)、「東芝ライフスタイル」の株式の約8割を売却(514億円、中国の家電会社)などで約1兆円の資金を捻出。

「東洋経済誌」が「東芝解体」という踏み込んだ表現をしたのは、そのような背景を詳細に分析した結果とみられます。
その上で同誌は、3つの「解体シナリオ」を提示しています。

1.絶好調の半導体を放出
2.優良資産をすべて売る
3.原発ビジネスから撤退

誰でも容易に想像できるように、どれも「いばらの道」のようです。

例えば「半導体事業」は、現時点で東芝が世界のトップ10に名を連ねる唯一の日本企業で、特に急成長しており今後は更に大きな伸びが見込まれている「(NAND型)フラッシュメモリー」では、トップを走る韓国の「サムスン電子(約30%)」に次ぐ世界シェア(約20%)を持っています。
そして東芝の利益の大半をこの事業が出しているので全体を放出するわけには行かず、これを分社化した上で、その何割かに外部資本を受入れることによって当面の資金を調達する計画が既に進行しているようです。
しかしそれが実現した場合、当然ながら、同事業が稼ぎ出す利益の何割かが外部に流出することになります(一部では「禁断の果実に対に手を出してしまった」と言われているようです)。

優良資産を売る」とは、東芝が資本の過半を持つ(上場または非上場の)子会社を売りに出すこと、または半分以下の資本を持つ近縁・有力会社の株式を手放すことですが、前記したように2016年3月期決算を確定する過程で既に、外部企業や機関投資家から見て「おいしい部分」の大半を手放しています。

原発ビジネス」については、子会社WHが抱えている巨額の「負の遺産」を考えると、これを分離して売りに出しても、買い手が現われて交渉が(東芝のプラスになるように)成立する可能性はほとんどないでしょう。
また東芝・WHグループが建設して稼働中の原発、および受注して建設中の原発への「製造者責任」を考えると、建設・稼働が長期にわたる巨大プロジェクトという原発の性格により、簡単に「撤退」が実現することは考えられません。

ここで、今回の「東芝・WHの悲劇」の全体像を眺めると、表面的には、2011年3月の「福島原発事故」が東芝・WHの野心的な目論見を「暗転させた」ように見えるかもしれません。
しかしそれは、事の本質から遠く離れています。
次のグラフをご覧ください。

この「IAEA(国際原子力機関)資料」に基づくグラフ(「東洋経済」による)は、2020年と2030年の2時点における原発による世界全体の「発電規模(ギガワット:稼働中原発の出力にリンク)」を、2008年から2016年に至る「各時点で、どのように予測していたか」を示しています(折れ線グラフ)。

これを一見すると確かに2011年以降「予測値」が大きく尻すぼみしており、「福島原発事故」が原発への期待を「暗転させた」ように見えるでしょう。
しかし、これを客観的に眺めると何のことはない、「裏付けのない過大な期待」をIAEAやそれに連なる方々が、2006年から2010年にかけて一方的に膨らませただけで、福島事故を受けて、その「架空期待」が「正常」に戻ってきただけです。
例えば「2015年時点での2020年の発電規模(予測)」は、2015年の稼働実績とほぼ同水準で、2016年時点での予測では、それより更に減る見込みとなっています。
また2005年から2015年の原発による発電規模(実績値:棒グラフ)は、各時点において、後年に向けて急増する傾向を示していません。それどころか、「現状維持」が精一杯の線だったのです。
さらに、東芝・WH連合は、2008年の2件を最後として、2016年まで1件の新規注文も獲得していません。

むしろ「福島原発事故」が(結果として)果たした大きな役割は、「原発の本質」について世界の人々を目覚めさせたことでしょう。
それを受けてEUでは、ドイツ、ベルギー、スイスが、期限を決めて原発を全廃する方針を決定しました。
スペインとスウェーデンもその流れに追随し、スペインは原発の新設を中止することを決めました。現状で原発依存度が50%に近いスウェーデンは、新たな建設計画を凍結させる原発政策に舵を切り、全廃の期限は設けないものの、自由化された電力市場で、原発が次第に消滅していく「自然死」の道を選びました。
原発大国フランスでも原発への考え方が大きく後退し、原子力依存度を下げる検討を行っています。
またイタリアは、そもそも原発を使用しない方針を堅持しており、現在も原発による発電はゼロです。

その中で特にドイツは、同国が元々指向していた流れを加速させて、再生可能エネルギーによる発電量が既に30%を超えています(日本は5,6%)。
そして2025年に40~45%、2035年に55~60%とする目標を掲げていますが、最近の実績は常に目標を上回っているので、容易に達成できると思われます。
ドイツの場合、再生可能エネルギーの柱は今のところ太陽光発電と風力発電で、これらは日中変動や季節変動が大きくて基幹エネルギーにはなり得ないとする「外野の専門家の意見」にもかかわらず、ドイツでは日中のピークは太陽光発電がカバーし、季節変動の少ない風力発電を基幹に据えるなど、地理的特性と発電方式に応じた立地分散も含めて巧妙にバランスをとり、そこから生まれる「余裕」によって、現に隣国フランスとのエネルギー輸出入では約10テラワット/年の輸出超過になっています。

一方、再生可能エネルギーの価格については、既に風力発電は「最も安いエネルギー源」になっており、また太陽光発電は「ソーラーパネルの急速な価格下落」によって、2040年までの「累計」で「最も安いエネルギー源」になると推計されています。
ドイツ市民は、そのような展望(2023年以降は賦課金をゼロにできるとされている)を信頼できるからこそ、今のところ電力料金に上乗せされている「再生可能エネルギー賦課金」を(産業用の大口電力を安くするための上乗せ分を含めて)受容しているのでしょう。
日本はもっとドイツに学ぶべきで、自然との共生や環境保全について何の見識も理念もお持ちでないように見える「トランプのアメリカ」のご意向を、事毎に忖度(そんたく)しなければ前に進めないような国家運営に陥ることは最悪の選択です。

ここで、「ビジネスとしての原発事業」を客観的に眺めれば、この先でも共通的に成立ち得るものは、
① 稼働している原子炉が必要とする交換燃料の供給
② 製造者責任としての稼働の維持管理
③ 役割を終えた原発の「廃炉作業」
――くらいしか残っていないでしょう。

日本独自のものとしては、さらに
④ 福島事故の後始末
⑤ 高速増殖炉「もんじゅ」の後始末
⑥ (何年にもわたり巨費を投じてきたが、いまだに稼働できない)青森県六ヶ所村「使用済み核燃料再処理施設」の後始末
⑦ 福島原発事故を受けて停止中および再稼働した原発の廃炉
⑧ 高レベル放射線廃棄物の最終処分(適地がどこにも見つからない)
⑨ 英・仏に委託した「使用済み核燃料からプルトニウムを抽出する作業」に伴って発生し、現に委託先に大量に溜まっている「核廃棄物」の引き取り(日本に引き取り義務があるが、海上輸送という危険が伴う)
⑩ 日本が現に(国内および再処理委託先の英・仏に)保有しているプルトニウム(約50トン)の始末(参考:「たまり続ける日本のプルトニウムに募る懸念」「減らぬ日本のプルトニウム 米、核再処理に懸念」)。
――などがありますが、これらはもはや電力会社や原発メーカーが、技術的にも資金的にも主体的に取り組むことができるレベルを超えており、無定見に「国策として」原発を推進してきたことの「巨大な負の遺産」です。
いま行われていることを簡単に言えば、「ひたすら問題を先送りして後世代にツケを回している」ということになるでしょう。

また「惑星地球の問題」としてとらえれば、「核の問題として同根」の、核兵器を含めた「グローバルな負の遺産」を人類は抱えています。
目下の急務は、宇宙スケールの「新時代への移行」が目前に迫っており、惑星地球は緊急に「身辺をクリーンにする」ことを迫られていることです(それができなければ人類にとって「衝撃的な移行」になるでしょう)。
その対処方策は、人類が持つテクノロジーや時間枠を考えれば、大きく「人智を超えている」とみられます。
しかるべき手順を踏んで「宇宙同胞に支援をお願いする」のが唯一の道ではないかと考えられます。
次は、この方面になじみが無かった方のためのご参考です。

1.人類の現状をこのように見ています―アンドロメダ銀河代表
宇宙挙げての支援活動」を実感させられる新春メッセージ
3.新世界への扉―創造主

ともあれ「福島原発事故」は、原発というシステムの「製品寿命を縮め」「その本質を露(あら)わにした」のです。それを認めたくない方々が、いるかいないかに関係なく。
日本や世界の、他の原発メーカーや企業グループも、「原発の新規受注・建設」にこだわる関係部署の独走に引きずられている限り、第二、第三の「東芝・WHの悲劇」は避けられないでしょう。
時代が大きく転換しようとしている今こそ、「地球の新時代」への企業サイドの対応として、経営トップの見識と指導力が問われます。

【目覚めの手帳(第5話)】原発に明日はない―「核燃料サイクル」の破たん

(高速増殖炉開発と再処理工場建設)
核分裂で発生する「高速中性子」を水(軽水や重水)などで減速しないで核分裂反応を持続させる高速増殖炉は、原料ウランの99.3%を構成する「燃えないウラン(ウラン238」を、核分裂物質であるプルトニウムに「転換」する。原料としてウラン(核分裂性のウラン235を0.7%含有)と一緒に投入されるプルトニウムに対し、「転換」されたプルトニウムの方が多ければ、あたかもプルトニウムが「増殖」されたようにみえる。「増殖炉」と言われるゆえんである。
このタイプの原子炉を冷却する素材としては、水やハロゲン(フッ素、塩素など)に触れると爆発的に反応する液体ナトリウム以外には見つかっていない。また、発ガン性など、毒性が極めて強いプルトニウムを原料(燃料)として用いる点も特徴のひとつである。

他のすべての先進国が、この炉の開発を事実上放棄した今でも、資源小国の日本こそ、長期的なエネルギー資源確保の立場から、積極的に開発を進めるべきだという主張は、それなりの説得力を持っている。
日本は、そのような視点から、高速増殖炉の開発と並行して、実用発電炉(軽水炉)の使用済み燃料を再処理して、プルトニウムを抽出する作業を続けてきた。これまでのところ、再処理のかなりの部分はフランスとイギリスに委託してきたが、国内で唯一の茨城県東海村の再処理工場に加えて、新たに青森県六ヶ所村に大規模な再処理工場を建設し、2000年以降プルトニウムを完全に「国産化」することを目指している。
一度使った核燃料は再利用せず、そのまま廃棄物として処理する「ワン・スルー」といわれるアメリカの方針に対し、日本のは「核燃料サイクル」といわれる。実は、この方針でやってきたことが、日本における原子力利用の全体を、じわじわと出口のない泥沼に追 い込みつつあることを、全貌をつかむ立場にある関係者が最も深刻に認識しているに違いない。

高速増殖炉の原型炉である「もんじゆ」に初期装荷するプルトニウムは約1トンである。 「増殖炉」であるから、先々の取替用燃料は自ら賄うことができる。この他、新型転換炉という増殖炉と軽水炉の中間の性格を持つ炉型の原型炉「ふげん」があり、これもプルトニウムを用いるが、その使用量は「もんじゆ」より少ない。
これに対して、仏、英から今後引き取るプルトニウムは29トンもある。加えて、東海再処理工場でも、2020年頃までに約5トンを生産できる。もし六ヶ所再処理工場を計画通り作れば、更に50トンが加わる。「もんじゆ」に続く第二原型炉もしくは実証炉は、もし電気出力60万キロワット程度のものを建設するとすれば約1兆円かかるといわれているが、現在の状況では、その必要性を理屈づけることはできないし、そもそも建設場所を確保することができないであろう。いずれにせよ、「増殖炉」や「転換炉」の数を増やしても、プルトニウムを減らすことにはならない。

こうして、軽水炉から出る使用済み燃料の再処理を続ける限り、プルトニウムが増え続けることになる。プルトニウムの保有は、その毒性だけでなく、核兵器への転用がウランより容易(50トンで、原爆を6250発作れる)という意味で、厄介な問題を提起する。アジアの先発途上国や中東の産油国が、目的は別のところにありながら長期的なエネルギー政策の一環と称して「合法的に」、日本をモデルにしてプルトニウムの「備蓄」に励むようになったら、どういうことになるであろうか。その可能性は、決して少なくない。プルトニウムは、平和国家日本では、短期間たりとも貯蔵することを許されない物質なのである。

そこで、軽水炉でプルトニウムを燃やす「プルサーマル」という方式が提案されている。 燃料は、ウランとプルトニウムを混合した「MOX」といわれるものを用いる。実際問題として、「プルサーマル」を大々的にやらない限り、過剰なプルトニウムを「消費」する手段がないことは間違いない。これは、「増殖炉」や「転換炉」を脇役に追いやり、「再処理―軽水炉(プルサーマル)―再処理」を主体とする構図である。プルトニウムを確保しようとして、再処理を始めたことが、これにつながった。
六ヶ所村の再処理施設の建設費は1兆円に近い。「MOX」の加工施設にも、別に巨額の建設費がかかる。それらの運転に要するエネルギーと経費も馬鹿にならない。適正にコストを配分すれば、「プルサーマル」によって生み出される電力は、とんでもなく高いものになるであろう(再処理を行っても、セシウムやストロンチウムなどを含む「高レベル放射性廃棄物」は残るので、廃棄物処理費用の大幅な節約になるわけでもない)。

「核燃料サイクル」の問題は、それだけではない。ルートの至るところに、使用済み燃料の、不安定な「中間貯蔵(プールに貯えられる)」が発生する。これは、冷却のために必要な期間に加えて、再処理のための「工程待ち」の期間が加わる。一般に、システムの構造が複雑であればあるほど、中間滞留が膨らむことは工程管理の経験則である。実際に、その状況はすでに起こってきており、電力会社が頭を痛める問題となっている。
また、「高レベル放射性廃棄物」の最終処分地の問題も未解決である。すなわち、2000年以降、ガラス固化した「高レベル放射性廃棄物」の地中への埋設処分が現実の課題となってくる。これは「地層処分」といわれる。再処理の委託に伴って仏、英で発生したものも引き取って処分しなければならない。日本には、無人の場所がない。適地を捜し出 して住民の合意をとることは、ほとんど不可能ではないだろうか(北海道幌延町に「地層処分」の研究施設を作る計画は、研究施設をそのまま恒久施設にしてしまうというお決まりの手法に対する住民の疑念から、中断したままである)。

この問題は、「地層処分」の前の「冷却貯蔵期間(30~50年)」があるので、いま現在、実施すべき時期が到来していないという救いだけしかない。最終処分地が決まらなければ、「地層処分」待ちのガラス固化体貯蔵容器(キャニースター)が、限りなく増え続けることになる。これの貯蔵もまた難題である(場所としては、六ケ所村が予定されている)。
更にその先に、寿命が尽きた原子力発電所の解体処分の問題が待っている。ちなみに、米政府は、軍事用プルトニウム生産工場跡地の汚染浄化に、今後30年間に300億ドル(約3兆1500億円)を投入するという。

次々と打ち出される原子力関連施設への巨大投資は、経済的合理性の域を超えている。核燃料サイクル、つまりプルトニウムの利用に拘泥することは、日本の電力会社と原子力産業全体を、コスト意識を持つ正常な産業から、政府も巻き込んだ巨大な残務処理機構へと変質させていく。これは、関係者の誰も予想せず、誰も望まなかった事態ではないだろうか。
プルトニウムの蓄積を常にゼロにするように、燃料を加工し、炉を運転し、再処理を行ってプルトニウムを抽出し、それをまた燃料に加工するというサイクルを運営することは、不可能に近い。プルトニウムを燃やすだけの目的で、新たな炉を作る事態になるかもしれない。そのプロセスで、使用済み核燃料の「プール」への中間貯蔵と、高レベル放射性廃棄物の最終処分待ち「キャニスター」が、どんどん溜ってくる。何が本来の目的だったのか、だんだん分からなくなってくる。周囲状勢の変化に対して、ネコの目のように方針を変えながら、天文学的な資金を湯水のように使って対処せざるを得ないという、自ら作り出したものに振り回される構図である。

(後略)

(〔05〕=『タスマニアの羊(1993年11月)春秋社』第7章)